願い |
「輪廻転生」という言葉がある。 人は生まれ変わり、時を流れていくものならば・・・ 時をさかのぼることはできるのだろうか? 会ってみたい人がいる。 たとえ、この姿が変わっても・・・ 一目でいいから・・・貴方に会ってみたいのです。 後宮で、一人、孫権は頭の後ろに手を組んで寝転がっている。 赤壁での戦を勝利で飾ったとはいえ、犠牲も少なくなかった。 曹操を追い払ったには違いないが、それだけに過ぎない。 荊州併合問題で、連合した劉備と紛争も起きている。 正直、頭が痛くて女どころではない。気が紛れるのかも知れないが、今は一人でいたい。 誰の言葉も聞かず、自分の存在だけを確かめていたかった。 それなのに・・・ 「・・・おい、いるか」 代わり映えのない天井を見上げながら、目だけを動かして、何かを探している。 晴れた空のように、澄んだ水のように、青いその目は、宵の灯の光に当てられて、緑に変わっている。 孫権はまた「いるか」と問うてみる。 「いるんだろう?」 やや口調は乱暴。子供時分からの癖が染みついている為、はっきり丁寧に、と張昭から注意されるが直りそうもないし、今さら直す気もない。 「なぁ・・・霧」 孫権はあくびを一つして、「いい加減に出て来いよ」と続けた。 すると、右頬にぐにゅっとした異様な感じがして、孫権は口を横に開いた。 一匹の白い猫が、両前足を押し当てていた。 孫権はその猫を抱きかかえ、上半身を起こした。 「霧・・・・・・お前、人の隙を突くのが上手いな」 その白猫の名は丁霧季(てい むき)。 ここ一月ふらりと現れて、孫権の様子を伺うようになった。 彼が一人であるところを見計らって、いつも姿を見せる。 後宮の何処からやって来るのか、何処に住んでいるのか、全く不明な不思議な猫である。 人の話すことが理解できるのか、頷くような仕草をしたり、頭を振ってみたり、おもしろいので、孫権は人の名前を付けてみた。 今では略して「霧」と呼んでいるが、これもつかみ所のない意味の霧とかけているのである。 「さぁて・・・お嬢。お前、一体何処に住んでいるんだ?」 じぃ・・・っと青い両目で見つめられて、白猫、霧は首を右へ向ける。 「おい、白状しろ。誰か内緒で飼ってるんだろ?」 孫権がすかさず右へ覗き込むと、また左を向いてしまう。 「おい、こら・・・」 右、左、右、左、右・・・と飽きるほど繰り返して、孫権はむぅと考え込んだが、突然、閃いたように、 「霧。お前は・・・ひょっとして『神獣』か?」 と、白猫に尋ねてみた。 一瞬、硬直し、それから、ブンブン・・・と必死で首を振る霧。その様子からして怪しいものだが、孫権は笑って霧を膝の上に乗せて、その背を撫でてやる。 「おもしろい奴だ」 気持ちよさそうに目を細め、霧はじっとしている。 「しかし・・・また、何で俺に会いに来たんだ?」 ゆっくりと首を伸ばし、霧が孫権の顔を見上げた。 何かを哀願するような、うるんだ黒目。 孫権にはそう映った。猫とはいえ、ここ一月見慣れていれば表情の変化がわかる。 しかも、丁霧季は、特別だ。 そこらの猫とは違い、孫権であることを知っていて近づいてきたようだ。 『神獣』とも少し違う、人に近い存在ではないか・・・と思う。 ふっと視線をそらして、霧は膝の上から飛び降りた。 「答えてくれないのか・・・?」 孫権がそう言っても、うなずきも何もしない。 ただ、黒い目だけが訴えている。 「霧・・・」 手を伸ばすと、霧は頬をすり寄せてにゃ〜と小さく甘い声を出した。 「お前が人の女なら・・・手放さないのにな」 また霧の体が硬直した。その髭まで真っ直ぐに。 「はははは・・・正直者め」 孫権は硬直したままの猫をまた抱き上げ、腹の上に乗せてゆっくりと寝転ぶ。 「本当にお前が人だったら・・・」 日が暮れて、自分の時間が待ち遠しかったはずなのに、こんなことを言う自分がおかしい。 今の自分を癒してくれるのが猫だとは・・・ 「霧・・・俺が寝るまで帰るなよ」 と言って、孫権は目をつぶる。 やがて、静かな寝息が聞こえ出すと、霧は孫権の寝顔を見つめていたが、彼の腹から降り、そっと頬ずりした。 雫が落ちる。霧の目はまた、うるんでいた・・・ 会ってみたいと思った人がいる。 一目、貴方に会ってみたいと思ったけれど。 この姿が人ならば、貴方に愛してもらえたのだろうか・・・? これ以上の願いは望むべきではないとわかってはいるけれど・・・ ・・・人の女でありたい。女として、貴方の両腕で抱きしめられたい・・・ |
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