十、呂範

 

孫策はいつも笑顔である。
何があっても笑顔である。
父、孫堅が戦死した時も、その報に一瞬顔をこわばらせたが、すぐに笑顔になった。
遺体と対面した時も泣かなかった。
しかし、一人馬を走らせて号泣していた。
真っ赤な目で、笑顔をつくって帰ってくる。
痛々しいくらい繊細で、周囲ばかり気遣う。
だから・・・

「・・・だから、少しは俺を信用して下さいって言ってるんです!」
「信用しているさ。・・・現に、こうして迎えに来てくれているんだから」
「違います!」
「何が違うんだ?」
「なぜ・・・俺を連れて行ってくれなかったんですか!?」

大きく開いた口から唾が飛んできそうな勢いで(いくつか飛んではいたが)、帰る孫策を待っていた呂範が馬を並べ、先ほどから必死で喋っている。
だが・・・孫策は涼しげ、うまくあしらわれてイライラを募らせている有様。
配下としてその身を案ずる呂範としては、立つ瀬もない。

「それにしても・・・子衡。その皮、艶がいいな」
「え?・・・そうですか? これは昨日、都の商人から買ったんですよ・・・」
呂範の顔がぱっと明るくなって、(彼だからこそ似合う)羽織っていた鹿皮を身振り手振り説明し出したものの・・・しばらくしてから、くすくす笑っている孫策の顔に気づく。
「は、話をはぐらかさないで下さいッ!!」
呂範の顔がみるみる真っ赤になって、孫策の笑い声は大きくなっていく。

「伯符様ッ!」
「ん?」
「俺は・・・」
「何?」
「お、俺は貴方の側にいたいんです!」
「は?」
気まずい空気が一瞬流れる。

「べ、別に変な意味じゃないですから・・・母上様に貴方をお守りすると誓ったことですから」
「わかってる。おかしな奴だな」
ははは、とまた笑って孫策は背を向けた。
「ほんとにわかってるんですか?」
「ああ」
返ってくるのはいつもの笑い声。
食客100人連れた彼が孫策を慕って配下になるのを願ったとはいえ、孫策にはどうしても頭が上がらない。

孫策の母、呉夫人を迎えに江都に入った際に陶謙に捕らわれ、拷問にかけられたこともあった。
まだその傷はあちこちに、時折疼く日もある。
・・・孫策の為なら死ねる。
拷問の最中、意識もおぼろな状況で、本気でそう思えた。
傷だらけ、顔中、体中腫らして救出された時、孫策は「すまない」と繰り返し呂範を抱きしめて涙ぐんでいた。

自分の為に泣いてくれる存在。
滅多に泣かない、見れないその涙を自分に分けてくれたのだから。
だからこそ、涙を流さないよう。辛くないように。
呂範は彼を守りたいと強く願う。

「ところで・・・肝心の成果は?」
呂範が尋ねる。
「・・・まずまずだ」
一時、間を置いてから孫策が答える。
「まずまずですか。では、すぐにお迎えするわけにはいかないんですね」
「・・・母上や弟達を頼んだ」
「え? では?」
「時が来るまで・・・さ」
振り返った孫策の口元に力強い笑みがある。
良い笑みだ、と呂範は思った。

「さて、そろそろ、伯海が飛び出してくる頃だな」
孫策は手をかざして近づく江都の町を眺めた。
「・・・眉つながってるだろうな」
呂範の心配通り、慌ただしく数騎が連なってこちらへ向かってくる。

先頭はやはり生真面目、孫河だった。
だが、いつもなら一直線の眉が八の字になっている。
孫河の情けないったらありゃしない、といった表情に、孫策と呂範は笑いを必死にこらえる。
「どうしたんだ、伯海?」
「はぁ・・・」

しばらくためらっていた孫河だったが、思い切って発した言葉は、孫策と呂範の二人を驚かせるのに十分な効果を持っていた・・・。

 

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