一、草原と獣

 

馬が駆ける。
ただ、一騎。乾いた風に逆らい、草原を走る。
彼方には、砂塵を起こして、黒い塊が見える。
塊はやがて、粒となり各々罵声・怒号を連れてやって来た。

騎馬は一直線に突き進む。
「紅虎だッ、紅虎が来たぞッ!!」
獲物の刃先が一身に集う。

ためらいもせず、“紅虎"と呼ばれた男は、腰の大刀を引き抜き、声をあげた。
その声が雷撃のごとく響いたかと思うと、
一閃。
黒い塊、賊の頭領は、首を失って落馬した。
それを見た賊徒は、刀を捨てて一目散。
“紅虎"は刀を振って、それを見届けた。


初平元年(192年)のことである。
中平元年(184年)に勃発した黄巾賊の反乱は全国に広まり、諸国の軍によって鎮圧されたものの、戦乱と連年に続く飢饉に対処し得ない漢王朝の腐敗政治あいまって、荒廃した土地を前に賊に身を落とす農民も数知れなかった。
群県に留まらず、農村に至っても自衛手段に頭を悩ませていた。

ふう・・・と、一息つくと、馬蹄が地面を蹴る音が聞こえてくる。
「仲康−−−ッ」
背後に迫る声。
潰れた声ながら、よく通る。
声の主に、さらにその後ろに数百の兵が続いている。
“紅虎"は馬首を返し、その声に血刀で答えた。

“紅虎"とは、賊が彼の剛勇はもちろん、その異様な赤い目と髪を恐れて呼ぶ名である。
男の名は、許ネ者。
「仲康ッ・・・お前、また、俺を出し抜いたなッ!!」
その許ネ者に近づくなり、声の主は怒鳴る。

「出し抜いたわけじゃない」
許ネ者は悪びれず答えた。巨大な体躯から発する声は、あまりに太く、低い。
対するガラ声の主、典韋は彼と同等の体格を持つ。
黒い髭が硬くおおっている。頬ずりされると痛そうである。

「まったく、お前って奴は・・・。普段と戦の時と、どうしてそんなに人格が変わるんだ?」
典韋は首をかしげる。
しかしながら、警護を任され、ライバルとして存在する後輩、許ネ者の力を見る度、嬉しくなる。
“俺以外に殿を護りきれる奴はこいつだけだ”
とも思う。

「・・・そうか?」
そんなこと知らず、典韋の言葉に、許ネ者もまた首をかしげる。
「お前・・・ほんとに変わってるな」
「・・・俺は変わりものだよ」
苦笑しながら、許ネ者は刀の血をぬぐい、鞘に収めた。

「さ、片づいたことだし、帰ろう。・・・殿がお待ちだ」
「ああ」
典韋は出番のなかった背の大斧にちょっぴり未練が残る。
つまらんといった表情に、許ネ者がくすっと笑った。
その顔を見て、典韋もにやっと笑う。

「おいおい・・・獣同士でにらめっこでもするつもりか?」
背後にいた将軍が、ハスキーボイスを披露した。
男だての夏侯惇である。
「元譲様。ご冗談でしょう・・・」
典韋が肩をすくめて答えた。本人はおちゃめのつもり。

「“冗談”とはどういう意味だ?」
いつもの“始まり”を感じながら、あえて夏侯惇は問うてみる。
「おわかりでしょう。こんな奴と同等にされちゃあ、俺も終わりってことですよ」
大げさなジェスチャーをして、典韋が答えた。
「終わり!? ・・・おい、典韋ッ」
むっとした許ネ者が上半身乗り出しで喰ってかかる。

「何だ、うるさい」
胸を反らして、“見下してますよ”、の典韋の返事。
「うるさいで片づけるなッ・・・熊男」
「お〜? 言ってくれるじゃねえか、ネコちゃん」
「ネコ〜!?」
延々と、許ネ者と典韋の口論は続くのである。

はぁ・・・・・・・・
長〜い溜息がもれた。
虎と熊、それぞれ牙むき出しての口論に、さすがの夏侯惇も呆れ顔。
尽きそうにない喧嘩に、夏侯惇は肺の許容量いっぱいに、深く空気を吸い込み、
後ろで部下達が素早く耳をふさいだ。

「やめんかぁ、キサマらぁぁぁぁぁぁ−−−−−−ッツ!!!」
怒号一発。広範囲に轟く拡声器。
声がでかくて通るのは、戦場で大兵を統率するのに有利な持ち物である。
目の前で怒鳴られる方はたまったもんじゃないが。

“やばい”
ピタッと二人の口がふさがって、恐る恐る夏侯惇を見た。
見事に、口はへの字。
無言で馬首を返し、夏侯惇は引き返し始める。

「行くぞッ」
「え・・・ああ」
遅れまいと、典韋とワンテンポずれて許ネ者が馬の腹を蹴った。
それもまた競争するように走って行く。

・・・陽々として、また呑気な兵団は、日暮れを隣に草原を駆け抜けて行った。

 

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