小王(一)

 

「虎痴、知らないか?」
少年のその一言で、騒がしい一日が始まろうとしていた。

初平四年(193年)、春。
[亠兌(エン)]州の曹操は、袁紹と対立し侵攻してきた袁術を完膚無きまでに叩きのめして、遠く九江へと追い散らした。
とはいえ、戦の被害は出ており、戦後処理の応対に追われていた。
戦死した兵士の遺族への補償、そして数の補充、荒らされた土地の整備、崩れた民家の修復、戦に乗じて出没する賊の討伐等々・・・。
次々と書類や官吏が彼の前に来ては去っていく。

その曹操と卞夫人の間に生まれた曹丕は七歳。物事に活発に反応する年頃である。
周囲の状況かまわず、人のそわそわした往来に彼も引かれ、いつも以上に城内を暴れ、走り回っている。
彼がおとなしかったのは、戦の最中ぐらいなものである。
曹操が凱旋するやいなや、喜んで飛び出してしまった。


それから数日後のことである。
「子桓様はどこに行かれたぁ−!!」
のっぽの程[日立]が、ご自慢の長い髭をゆらしながら、激しい癇癪を起こしている。
強情この上ない彼の逆鱗は、すさまじい。
冠の留め金外れ、髪を振り乱しながら、廊下を大股でドスドス歩いていた。

「子桓坊ちゃんなら、自分の部屋へ戻ったみたいだぜ」
彼に問われた郭嘉が必死で笑いをこらえながら答えると、
ギロっとひと睨みし、程[日立]は郭嘉が指さした方向へ駆けていった。
「ひぇ〜・・・おっかねえ。おっさん、職間違えたんじゃないか?」
と、郭嘉は駆け去る男へつぶやきながら、柱の後から顔を出した曹丕へ片目をつぶった。

「はぁ・・・助かったよ」
「いえいえ、こういうことなら、いつでもお任せを」
悪巧みな二人である。
「ところで、虎痴を知らないか?」
「仲康ですか? そういえば・・・今日は見てないですね。どうかなさったんですか?」

「あ・・・うん。なら、いいんだ。じゃあ」
それだけ言うと、曹丕は程[日立]と反対の方向へ走っていく。
「何かあるな・・・」
郭嘉はちょっと考えてみたが、
「ま、いっか。俺には関係なさそうだし」
と、言ってふらっとその場からどこかへと消えてしまった。


曹丕の小さな冒険ならぬ、城内の許ネ者探索は続いている。
「おっかしいなぁ〜・・・どこ行ったんだ? あいつ」
片っ端から部屋を覗いてみる。
大抵、侍女やら警備兵やら、官吏やら誰かがいるものである。
決まって、許ネ者の行く所を捜したりもするが、見あたらない。
肝心の彼の動きを知る人物らに、彼が出会わなかったせいもある。

「仕方ないなぁ・・・父上に聞こうかなぁ〜でも、やだな」
まだ小さな弟、彰や植に母と共にかまっているかもしれない。
母、卞氏は特に今、二歳になろうとする植にべったりである。
そういう光景が何だか悔しい。
母違いの兄(劉夫人生)で、よく相手をしてもらう昴は武芸や勉強に励んでいる。
成人間近で、父の手ほどきを直接受け、内容を理解することができる年頃である。
兄と弟の狭間で、ちょうど物心つきはじめ、自立を求められる中途半端な時期にある曹丕である。

俺だって・・・
言いたくない。
でも・・・・・・
俺だって、父上と母上の子供じゃないか!!

つい、涙が出てきた。
曹丕はぐっとそれをこらえて、こぼさなかった。
噛んだ唇が痛い。手も痛い。
それよりもっと、胸が痛い・・・。

すっかりしょげた曹丕はとぼとぼ歩いていた。
と、突然、ドスっとぶつかって目の前に星が飛んだ。
「おう、どうした?・・・子桓」
片手で木刀を肩に叩きながら、もう片方の手で彼を起こしたのは、夏侯惇である。
「あ、・・・元譲おじさん」
しょぼんとした声で曹丕は言った。

「しょげてんのか・・・どうした?」
膝を曲げて、夏侯惇は曹丕の背に合わせてくれる。
曹丕が暗い表情をするのはよっぽどのことである。
「・・・“お兄ちゃん”も大変か?」
夏侯惇の言葉に、はっと曹丕は顔を上げた。

「おじさん・・・」
「わかってる、わかってる」
夏侯惇は曹丕の頬を軽く引っ張りながら、ニィッと笑った。
「無理すると後にくるからな・・・泣きたい時に泣くんだぞ。かまってほしい時は、正直に、甘えりゃいいんだ」

「うん・・・」
うつむいていた曹丕は、床に置いた木刀に目がいっている。
「へへ」
思わずにんまり、声が出てしまう。
「?・・・あ!?」
気づいた時には遅い。
握った木刀は、やや重かったが、一度振るなら十分。

曹丕の一撃、夏侯惇の額にヒット!!
「一本!!」
「い、てぇ・・・・・・この野郎ッ」
遠慮もあったもんじゃない一撃に、夏侯惇は思わず額を抑えて唸った。
「隙だらけだぜ、元譲!!」
曹丕が小さな胸をそらし、声高々に叫んだ。
いつも言われる台詞を一度返してみたかったのである。

「心配してやりぁ・・・こんのくそガキぃ〜」
夏侯惇の大怒声放つ間もなく、
ぴゅ〜・・・と、一目散に走っていく曹丕。
その逃げ足も天下一品である。

「ったく・・・油断も隙もねえな。誰かさんと同じで」
夏侯惇は笑って、してやられた木刀を庭に放り投げた。
「ギャ!!」
声が上がって、樹木の影から男が飛び出してきた。
「やばい・・・仲徳殿?」
髪乱し、形相すさまじい男に、夏侯惇の顔がひきつった。


本日、厄日なる程[日立]殿、曹丕に悪さを教えたのは貴方か、と、夏侯惇へ激怒する。
夏侯惇、返す言葉もなく、ただ、怒り冷めるのを待つのみ・・・。
災いの張本人、元気を取り戻し許ネ者捜しを再開する。
・・・そんな騒動もつゆ知らず、許ネ者は自宅でお昼寝中。

 

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