序章、覇軍の王(四)

 
南宮の左を北上する程普が振り返ると、既に炎をぶち抜くように水柱があがっていた。
「ご無理をなさらなければ良いが・・・」
そう呟いた瞬間、
ドドォーーーーーーーーーーーーーンッッッッッッッッ!!!
背後に広がった一筋の稲光と振動が広がり、馬が両足を跳ね上げて、幾人もの兵が落馬した。
南宮の炎が火弾を放ち、曲線を描いて、馬を抑えている程普へと飛ぶ。
眼の端にそれを見た程普は、口からフッと息を吐きだした。
灼熱の城の中、息は白く、即凍てついて雪となり、火の塊に注がれて、蒸気があがる。白玉の眼を閉ざしていき、細長く、鱗のない白龍が一周して消える。
滅多に出したがらない程普の『白箭(ビャクセン)』。
「“水薬”はお気に召されたかな」
もう一つ、おまけに程普の“怖い”微笑も付いてきた。

・・・一方の右の韓当はひっくり返ってしまい、
同じく彼にも放たれた火弾へ、背丈もある大きさの水球をぶつけて防いだ為に、周りの兵士共々ずぶ濡れになっていた。
「ふう・・・助かった助かった、『穐波(キハ)』」
皺が寄った薄緑の老亀の頭に、濃紺に近い緑の甲羅には水色の宝珠が三つ並んで付いている。
小さく韓当の手のひらに乗っている『穐波』は、徐々に薄くなっていく。
「徳謀(程普)さん。俺、足手まといになんかなりたくないですけど・・・このままじゃ、やばいかも・・・」
薄くなる己の『神獣』を眺めながら、一緒に落ち込みかけて韓当はぶんぶん首を振った。
「いや!殿自ら頑張ってるんだ!まだ若い俺が活躍しないでどうする!?」
と、彼流の独特な気合いを入れて、馬に飛び乗った。


孫堅の碧となった右腕を中心として、水柱が上がり、渦を大きくして、赤い火の粉に対抗するように、白く光る飛沫を散らしながら、竜巻のように空へ広がっている。
「『龍嘯(リュウショウ)』、遠慮はいらぬ。思う存分暴れるがいい!!」
叫んだものの、孫堅は、ビキビキと血管が太く浮き、波打って痙攣のような激しさの右腕に、くッ・・・と呻きながら、必死に左手で抑え込んでいる。
「殿・・・!」
側に付いている祖茂が案じ、
孫堅は苦しげな表情で苦笑いする。
「・・・俺には、これが精一杯なようだ・・・・・・」
巻き上がった水は、巨大な敷物のように、南北にまたがる[各隹]陽の炎を覆い、巨大な影を作っている。
「[各隹]炎よ・・・喰らってみるがいい」
孫堅の口の左端がひねあがる。
碧の腕を一気に振り下ろすと、水の敷物は、滝のように[各隹]陽・・・炎へと、ゴォォォーーーと轟きながら、注ぎ落ちていく。
瓦礫とはいえ、焼けてまだ形を保っていた北南宮がその圧力で潰れ、孫堅の足元にまでその材木や濁流がやってくる。
祖茂の手が宙を払うと、白い風が円陣の外側に巻いて、押し寄せてきた大木群を細かく裁断してしまった。白い風・・・『風狐(フウコ)』は、そのまま周囲を飛び始める。

[各隹]陽の炎は蒸し上がり、霧のごとく真っ白になった蒸気が大量に空にあがっている。それは黒雲をさらに大きくし、[各隹]陽に雨をもたらす。
水浸しになった都の空に、紺碧の鱗が光る。背鰭に水を弾かせて、孫堅の海龍『龍嘯』が月よりも青い白銀の眼を開き、地上の小さな人間達を見据えていた。


「・・・あれが、父上の神獣かッ!」
孫賁の後ろに続いて、都の東で警戒していた孫策は、空に広がった紺碧へ夢中で叫んでいた。
話に聞いた、昔、銭塘湖の賊討伐で、賊が四散して後、孫堅が一息ついて血刀を振るった途端、突然現れたその海龍。孫堅もその場は覚悟したものの、龍は何も語らず、怒らず、孫堅を見続けていただけという。後、何を思ったのか、彼の護りとして、今に至る。
天衝の龍・・・地元の民が恐れ敬う龍神がなぜ、孫堅を認めたのか。当の孫堅もわからぬと言っていたが。
その夢物語は、若い眼に飛び込んできて、孫策の胸に、自分も父のようになりたいと、神獣を獲たいという気持ちばかりが膨らんでいく。
・・・なぜ、俺には『神獣』を得ることが出来ない? 俺には資格が無いというのか・・・?
若者の上には夢が、しかし、下には現実が。
・・・策。正気を保て。正気を失えば俺が俺で無くなる。
自らを戒めようとすればするほど、眉間に鋭く針で貫いたような痛みが走る。

ド、ド、ドン、ド、ド・・・ド、ド、ドン、ド、ド・・・ド、ド、ドン、ド、ド・・・
遠く響いている軍楽隊の太鼓の音が、内と外で響き合う。
開いた眼に映る赤い炎と、頭の中の薄暗い光の揺れと合致する。
海龍『龍嘯』の眼が、足元の濁水へ波紋を描きつつ二つの光を浮かばせ、上下から彼を見ている気がした。
「二つ・・・?」
こめかみを走っていった閃光。
・・・俺の『神獣』は・・・俺が・・・・・・
「ガッ!」
孫策が奇妙な声を上げた。頭の奥で、鈍器で殴られるほどの衝撃を受け、胸をえぐられる。たまらず孫策は落馬し、その場で嘔吐した。
「伯符様!」
「・・・くそぉッ・・・俺の中にいるのかッ・・・?」
四つん這いの姿勢で、孫策は嘔吐し続けた。蛇を口から放り込んで殺す方法があるというが、まさに蛇のような生臭い感じで、その最低な感覚から解放されるなら、今すぐ殺してくれてもいいとさえ思った。
・・・出てこい!出てこい!出てこい!
頭は回る。胸は押しつぶされる。眼は見えない。周囲の声は遠い。
孫策は、意識をかろうじて引き留めながら、胸の奥にうずくまっているものと、戦っていた。
胃には嘔吐する物も無くなり、血が混じり始める。

・・・負けてたまるか。負けてたまるか。・・・俺は・・・絶対に、天下を見る!

「出ろォォォーーーーーー!!!」
孫策は胸を引っつかみ、拳を突き入れた。ボコッと大きく動くと、細いモノが口から飛び出してきた。
「な・・・蛇? ・・・し、『神獣』??」
周囲が仰天して、一歩引き下がった。
孫策が荒い息をしながら、やっと眼を開け、絶句した。
「両頭の龍・・・?」
白い頭と黒い頭。どちらも赤い眼をし、体には銀の鱗を持っている。
しばらく茫然と見つめていたが、孫策は突然笑い出した。
「『生覇(セイハ)』・・・『死覇(シハ)』・・・・・・そうか・・・俺のか! しかし、両頭の龍とは驚いたな。・・・孫子にも「常山の蛇」というのがあるが、そんなところか、お前達?」
周囲が引くのも構わず、孫策の差し出した腕に巻き付いて、白頭『生覇』、黒頭「死覇」は首をもたげて赤い眼の光を小さくした。
「それにしても・・・なぜ、俺の腹の中にいたんだ? ナマモノで刺身になってしまうところだぞ・・・」
『神獣』を得たことで狂喜している孫策は、ただただ彼らに語りかけていた。
そして、「孫策倒れる」、の報告を聞いて軍を戻してきた孫賁に対しても、孫策は満面の笑みで応え、『生覇』『死覇』を見せるのだった。

孫賁も最初は驚くばかりだったが、状況が状況だけに、手放しで喜んでやれなかった。
孫策まで無理矢理『神獣』を、この[各隹]陽の戦場で引きずり出したのは、まだ猶予ならぬ、ということだろう。
ひとまず、北南宮は鎮火しているが、まだ四方ではくすぶっており、いつまた襲ってくるかわからない。
『龍嘯』も、[各隹]陽の空に鎮座している。
あれだけ巨大な『神獣』・・・素直に従うものではあるらしいが、孫堅は相当の精神と体力を消耗しているはずである。
・・・まだ、何があるというのだ?
孫賁の細い眉が上がり、[各隹]陽の城壁と『龍嘯』、黒雲の雨で、視界も届かぬ西を見た。
西には、単独で愈河が見回っている。
「伯海!!」
彼の声は、孫堅に軍を預かった時よりも、うわずっていた。

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