序章、覇軍の王(三) |
炎に囲まれた城内には、燦然と輝く光がある。 明るい夜に溶け込んだその光は、その一点で小さな灯火となっていた。 赤い色はそれを浸食することは無かった。 炎の弾ける音や、たまにあがる叫喚の中、その光だけはひっそりと自己を保っていた。 ・・・小さな兄弟がそれを見つけた。 煤だらけの両手で、そっと取り上げてみた。 光は、小さな手に乗るほどの珠だった。 現実を離れ、兄弟はその一瞬、珠の美しさに見とれていた。 赤い色は、彼らを見つけて揺れる口を開いた。 兄弟は頭上の赤に気づいた。だが、動こうとはしなかった。 「僕達、死んだら、お父さんとお母さんのところへ行けるんでしょう?」 「お父さんとお母さんに会えるの・・・?」 赤い炎は、小さな子供達を目前にして止まっていた。 兄弟の頭上にあるのは黒煙と、赤く切り裂かれる眼。 その姿に怯えても、死に怯えない子供達。死ぬという様を幾度も見せつけられて精神は限界で・・・最後の望みが、両親に会えるということだけ。 ・・・死ねば会える。 それだけは、幼い心はちゃんと知っていた。 赤い眼は天を向いた。炎が天に向かって燃え上がる。 それを、小さな兄弟は抱き合って見上げていた。 きらきらと闇夜にまかれた火の粉が光って、恐ろしい長大な炎の龍は天に吠えかかった。 ・・・キレイだね、と小さな弟が呟いて、うん、と小さな兄は答えた。 太鼓と銅鑼の音が、燃えさかる城に届いた。 ド、ド、ドン、ド、ド・・・ド、ド、ドン、ド、ド・・・ド、ド、ドン、ド、ド・・・ 太鼓は五打を一とし、絶え間なく軍勢を奮い立たせる。銅鑼は一に一。 孫堅軍の軍楽隊が都の真っ正面・・・南の平城門を前に、その音で彼らの軍であることを示したのである。 いななく馬も、兵士も、既になく、返答するのは火炎のみ。 開け放たれた大城門からも、あちこちに火の手が見える。彼らを誘うように、平城門以外は炎で閉ざされている。 孫堅は、慌てて飛んできた程普の使いにも、「百も承知、でわかる」と返してしまった。 「公覆。俺があれを食い留める間に、他の炎を抑えろ。いいな?」 「無茶言われますな・・・わしのは“火”ですぞ。油になりかねませんぞ」 「毒には毒と言うだろう。やってみなければわからん」 「・・・やってやられて、という事態になればいかが致すおつもりで?」 「その時は、別の毒でも用意するか」 「いっそのこと、“水薬”を与えてみてはいかがですかな」 “水薬”と呼ばれた程普はどんな顔をするか。 [各隹]陽の崩壊した北宮と南宮の間、その中央に、炎は陣取っている。 無造作に建物を焼却しているわけでもなく、規則的な動きが回間見える。 董卓が“炎の龍”を持っているとは聞いたことがない。 その養子の猛将呂布の「神獣」は、“炎”ではあったが、「龍」ではなかった。 では、この「龍」は、一体誰のものか・・・? 孫堅は自軍の兵の半分を城外の後尾孫賁に託し、中軍の程普と城内に入った。 孫賁は愈河を伴い、自らの部曲を先頭に押して、軍に下知した。 「まず鎮火である! また、遺構、住居もろもろの破壊活動の防止、及び見かければ生者の救出にもあたられるよう・・・各将軍、全力を尽くして頂きたい!」 鮮やかな手つきで、孫賁は各将軍に通達させたが、何かしっくり来ないものがある。 孫堅を真似て、また自分なりに賢明な一面を披露したのだが、孫堅自らの命令とは各軍の動きがいまひとつ、機敏さが欠けている気がする。若年ゆえか、経験の不足か。しかし、そんな思考をする暇もない。 ・・・今は、やるべきことをやるだけだ。 義直な彼は城内からあがる高炎を、睨み付けた。 孫賁が動き出すと、孫堅は後ろにいた孫策に叫んだ。 「策!お前は賁や伯海に従って、城外の民の救助に徹し、俺が戻るのを待っていろ!」 「はい!」 「もしもの時があっても動じるなよ・・・」 「心得ております!」 洪手し、あっさりと答えた孫策と、やや期待が外れた孫堅と。 「ご武運を!」 孫策もまた父の指揮ぶりを良く見ていた。手際よく孫堅から預かっていた一部の部曲をまとめ、孫賁の軍へ合流する。 「親父の背中ばかり見ていた子供も、そろそろ親離れですかな。・・・まぁ、踏みつけられんように、我々も手強いことを見せてやらねば」 黄蓋が感心しているその“親父”に言った。 「・・・あいつも俺の年になったとしたら、どんな漢だろうな・・・・・・」 孫堅も人の子、人の親。親の眼は勝手に子の将来を思い描く。 黄蓋は穏やかに、彼のひとときの夢を見守っていた。 「いかんな・・・」 苦笑して、孫堅は都の四方に散っていく軍兵に眼をやった。 程普と韓当が左右分隊する。瓦礫と化した北宮と南宮を避け、広大な敷地を大きく迂回して、北へ走っていく。 祖茂も「間」を五人ずつ分け、一方を黄蓋の護衛に付けた。孫堅の残りの兵も全て黄蓋の手に委ねられている。 「では、殿・・・黄蓋めは、背後で油を注ぎますぞ。・・・火傷せぬよう、たっぷりと水を撒いて下され!」 かっかと笑って黄蓋が孫堅を中心として兵を円に展開する。 「おお、派手に燃やせッ!」 「・・・この方々は・・・・・・」 祖茂が景気づけのような会話に、つい、ぼやいてしまった。 戦場にあってもこの余裕、危機にさえ生じる笑顔、孫堅軍の意気は留まることを知らない。 「行くぞッ!」 一面の炎壁、じりじり突き刺す熱気へ、孫堅は突進する。彼を目がけて火の雨が降り注ぐ。 祖茂が手の平を上に向けようとした途端、 「一発目ぇッ!」 雷撃のような声と共に、ビュンッ、と孫堅と祖茂の間を“赤”が抜けた。背後の黄蓋がごつい両手を鷲掴みに前に出し、炎の鳳である『炎枷』が突き抜けて、道を開いたのである。 「頼もしい“油”だ・・・俺も負けられん」 孫堅は右腕の袖を引きちぎった。 「さぁ・・・『龍嘯』。この帝都はあなたのものだ・・・」 掲げた孫堅の腕は、染料で染めたように、碧に変色し始めた。 |
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