序章、覇軍の王(二)

 
「数はッ!?」
黄蓋が叫んだ。孫堅も、未だ見えぬ騎馬隊へ、北の闇に眼を凝らしている。
「・・・三、四・・・、・・・・・・十騎! 十一騎です!」
先夜放った斥候隊の数である。
「・・・間違いないか!?」
「間違いありません!十一騎全員白羽の巾です!」
はぁ〜・・・っと人一倍大きく、黄蓋が息を吐きだした。

しばらくして、その小隊が到着した。
軽装で、各々黒巾に目印である白の小羽を挿している。
「報告致します!」
籠もった声の隊長は、華奢な体で素早く馬を降り、孫堅の馬前にひざまづいた。孫堅直属の部将、祖茂である。董卓の大軍に包囲された折、孫堅の目印となってしまった赤の[巾青](巾)を代わりに被り、敵を引き付けて孫堅を救っている。
「ご苦労・・・どうだった?」
「はッ。[各隹]陽の城内、北宮南宮跡を中心として、現在、炎上中です」
その第一声に、孫堅は舌打ちした。
「幻か幽鬼でも見たのか。・・・焼けたのは一年も前だぞッ!」
董卓が帝劉協を長安に向かわせ、遷都を強行したのは、ちょうど一年前の二月。董卓自身は、その後、孫堅と戦った後、都に火を放って歴代の皇帝の墳墓など荒し尽くしてから、引き揚げている。

だが、祖茂は戯言を言うような男ではない。
「しかし・・・先刻、部下十名と共に、この眼で確認致しました」
部下も一様にうなずいた為、孫堅も態度を改め、程普や黄蓋に眼を向けた。
二人とも、先ほどの陽気さを失い、深刻な顔に変わっていた。
「・・・炎は、昨夜から発火し、未だ静まる気配がありません。・・・城外に残っていたわずかな住民にも被害が及んでおります」
「生き残りがいるのか・・・まだ隠れている者がかなりいそうか?」
「・・・申し訳ありません。何せ、瓦礫や朽ちた死体ばかりが目立ちまして・・・」
「かまわん。・・・ところで、董卓の部下はいないのだな?」
「は、我らが探った限りでは・・・」
祖茂を含め、十名の部下達は、かなりの技量を持つ「間」(密偵)である。もたらす情報は常に正確に近い。
少なくとも、再度表から衝突することだけはなさそうである。

上目にうかがっていた祖茂が再び口を開く。
「・・・また、炎の件ですが」
「続けろ」
「その動きには奇妙なものがあり、天を向いては地に下る、を繰り返し、一定の動きが見えます」
「『神獣』かッ!?」
孫堅の眼が大きく開いた。・・・黄蓋と程普が互いに、「まずい」と顔を見合わせている。
「はっきりと確認は出来ませんでしたが、おそらく・・・」
「・・・沈めねばならんな!」
興奮した孫堅の声がやけに大きい。抑えようとしているらしいが、正直に出来ているその顔には、はっきりと、「喜」と出ている。

「殿!・・・まさか、あれを本気で出されるおつもりですか!」
程普の声が上ずった。
「出すッ!」
「一言で片付けられても困るのですが・・・」
苦い顔で程普は笑った。
「ばかでかい都に通用するかな・・・?」
黄蓋が[各隹]陽の方角へ、ごつい手をかざしながらぼやいた。
「ばかでかい!結構!やるまでだ!」
きつく結んだ口、左端がひね上がった。孫堅の癖である。
キラリと孫策の若い眼も輝いた。
・・・程普は九割方観念している。

祖茂が孫堅の側に付き、愈河が最後尾に戻り、いよいよ勇む軍の空気を、程普はあえて遮った。
「殿。華雄の時も、我らで情報を抑え、後将軍にも秘してきたのですぞ・・・本来の能力(ちから)を現せば・・・、よもすれば、盟軍をも敵に回す事態になりかねませんぞ」
後将軍・南陽太守、袁術。討伐軍盟主、袁紹の従弟である。・・・董卓により都に残っていた討伐軍の血族・・・袁一族の者は幼子含め五十余名も、虐殺されている。
・・・孫堅が董卓の猛将と謳われた華雄を討った後、水関に進軍したものの、袁術は、他の諫言と自らの疑心で、一時は孫堅への兵糧輸送を止めた経緯がある。その時は孫堅は前線から百里(約41km)の道を夜をついで急行し、自らの誠意を訴えて事済んだが、それ以来、孫堅は袁術という人間性をさらに疑うようになった。だが、まだ軍を動かすには袁術に頼らざるを得ない状況にある。

「袁公路は臆病な奴だ。しかも、寄せ集めの軍勢は戯言しか言わん。・・とにかく、民の命が先だ!」
程普はうなずいた。彼の役目は常に孫堅の返答がわかっていても、分析した周囲の状況を進言することである。
また、民の命が先だ、と聞くことにより、軍兵は安心して戦うことが出来る。大半は、徴兵された民なのである。
程普も中軍に戻ると、いよいよ、臨戦態勢の糸が張り詰める。

「真(まこと)の武とは秘するものなり、ではなく、真の武とは徹するものなり、ですな」
緊迫してくる空気に、冗談を言った黄蓋の脈も波打っていた。
「おう、何事も臨機応変!」
孫堅がその太い腕を振りながら応えた。孫策が大きくうなずいていた。


「やっとか!!」
中軍では韓当が、すっとんきょうな声をあげた。
びくっ!と将兵が肩を揺らした。程普の細い眼も丸くなった。が、すぐに戻って、そのまま横に動かして、韓当を見る。
「・・・いきなり、声をあげるものではないぞ」
韓当の方はそんなこと気にもせず、一人勇躍し、
「腕が鳴るんですよ!腕が!・・・ほら、ぶんぶん!」
言いながら腕を振りまわして見せる。小柄なので、妙に愛らしく、程普はこっそり吹き出した。
「勇むあまりに、空回りすることのないようにな・・・」
それだけ言ったが、内心、程普は気の毒に思っている。
孫堅はその腕を愛していたが、その甲高い声だけは敬遠している。張り切って戦い、それなりの戦功もあげるが、別部司馬の職から上がりそうもない。
本人は精進が足りないのだろう、と思っているようで、程普は双方へ特には何も言わずにいる。


そして、最後尾では、孫堅の甥孫賁と、その親友、愈河が並んで進軍を待っている。
互いの血筋は遠いが、人相はよく似ている。細い眉か、太い眉の違いで、どちらも真っ直ぐな眉が特徴の青年。
「伯海。例の・・・殿の『神獣』の真姿を拝見する絶好の機会かもしれんな」
愈河は首をひねった。
「華雄戦で見たあれではないのか?」
華雄の『虎』を食い破った紺碧の『龍』。それも一瞬。
「比べるに値せん、と殿は仰っていたが・・・」
「では、一体どれほどの・・・」
「一見にしかず、という事だろう」
中軍が動いたが、その動きは早い。先頭の大将孫堅が突っ走っているのだろう。
孫賁は進軍の合図を送った。

・・・真の武とは秘するものなり。
誇らしげに語る孫堅の行動は、常に、その言葉に一致しない。
考え込んだ愈河のまっすぐな眉は、さらに寄せるものだから、ほとんど一直線に見える。
「行こう、伯海!」
飛んで来た声は、同情を含んだようでもある。
孫賁に続き、愈河も馬に強く鞭を入れた。


・・・董卓を怯ませた紺の旗の先には、闇夜に赤い炎を抱えた漢の巨城が不気味に待ちかまえていた。

 

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