(始)

 

正始元年(240)正月(改暦前は景初四年二月)。高祖劉邦建国より四百年続いた漢から禅譲を受けた魏の都、洛陽の官営工房で、工人達が慌ただしい作業に追われていた。

前年の景初三年正月一日。魏王朝二代皇帝、曹叡(明帝)が三十六歳(三十五?)の若さで逝去。三代皇帝にはわずか八歳の斉王曹芳が即位し、後見人として大将軍曹爽と、一年の遼東遠征から帰還したばかりの太尉司馬懿が当たった。
同三年、帯方郡を通じて、東の倭国の女王、卑弥呼なる者の使節、難升米らが十二月に来貢した。
既に曹一族と対抗できるだけの権力を持ちつつあった司馬懿は、呉への牽制も含め、銅鏡鋳造を決定。その数、百枚。
彼らに下された数々の宝物の中でも、「親魏倭王」の称号を刻印した金印とその銅鏡百枚が、特に目立ったものであった。


誰かが、その頃、司馬懿に言ったことがある。
「・・・卑弥呼なる者は、『鬼道』にたけていると言います。一体どんな力を持っているのでしょう」
「漢王朝を失墜させた黄巾の張角も、その部類に入るのかな」
「それでは、摩訶不思議な術で人心を攪乱させているだけの女ということですか」
「さて・・・それは卑弥呼本人の口から出ずるものかどうか・・・」
「・・・もしや、卑弥呼の力を期待しておいでで」
「いや、期待などする方が愚かであろう。・・・倭が、東夷や呉の輩に対抗できる力を有しているとは到底思えぬ。だが、倭という国の存在が、影のようにひっついて彼らの動きをわずかに鈍くさせる。それだけで十分ではないか・・・」
「しかし、物事は有益に運ぶとは限りませんが」
「運ぶとも・・・」
「?」
「・・・君は、国の行く末というものに興味があるかね」
司馬懿は不敵に笑うと、それ以上は何も言わなかったという。


正始元年、彼は六十二歳になっていた。経験をもって得た冷静な眼をさらに磨いて、自らの“最後の望み”を実現させようと、老いに反して野望の芽を養っていた。
だが、彼にとってはもう、その望み・・・魏王朝の簒奪・・・は、夢から覚めるまで、この世の小さな幻に過ぎなかった。



遥かな空の雲中に水面の輝きが映る。
紺碧の一本の彩りが、その中を泳いでいく。
年を経て厚くなった瞼に半ば隠れた眼がそれを見つけた。
洛陽の大宮殿の空、東へ流れていくそれを、司馬懿は見送る。

「・・・いずれ、還るか・・・。天衝の龍よ・・・・・・」

 

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