護者




「俺は、たとえ・・・国が滅んでも、帰ってくるつもりだ」
礼華が、不審な顔で俺を見る。思いもしなかったのだろう、忠臣として生きてきた俺の言葉を。
「俺は帰る」
それへ、俺はもう一度言った。
「・・・玄徳殿を連れての話だが」
付け加えて、俺は薄汚れた天井を見上げた。もう何十年も経った古邸。
礼華は悟ったのだろう。女にしては厳しい、意志の強い眼を向けてきた。
俺が出陣するその日も、そんな眼で俺を見るだろう。
もっとも、玄徳殿が勝利を知り始めた頃に出会ったのだが・・・俺の意固地のおかげで、どれだけひた隠しに辛い思いをしてきたのか計り知れぬ。
また、隠れて泣くだろうか。その髪に、白いものを増やすことになるだろうか。

・・・今度の戦に、未来は無い。俺は、ただの護りに過ぎぬ。



帝・・・玄徳殿は、呉への報復を宣言した。
「陛下・・・!」
居並ぶ群臣の前で、俺は、玄徳殿に遠征を取りやめるよう訴えた。天子を引きずり降ろして漢王朝の幕を引かせた魏こそが敵である、と。分かりきっていたことだが、大儀は口にしてこそ大儀だと誰かが言った覚えがある。
玄徳殿は振り返っただけで返答も無く、代わりに珍しく簡雍が出てきた。
「子龍将軍が真っ向から帝に楯突くなんて・・・」
公の場でさえ、あの男の言葉は礼を知らぬ。
「私は楯突くつもりなど無い。ただ・・・」
「ただ、何ですか? この戦に勝ち目は無いと仰りたいんですか?」
簡雍は必ず、人の揚げ足を取る。この男が嫌いだ。
「そうではない。今、呉へ向かえば、魏が喜んで見守るだろうということだ」
「上手いこと言って・・・」
俺は、頭に血が上るのをはっきり感じた。自然に拳に力が入った。
「将軍の奥方・・・確か、呉に戻りはった孫夫人の従者でしたなぁ・・・しかも、女だてらに腕もいいとか・・・」
「・・・紀威が、“間”だと言いたいのか」
よもや、この場で、そんな疑いが出てくるとも思わなかった。あれが、どれだけ肩身の狭い思いをして暮らしているのか・・・いや、この俺よりは、知らぬはずだと。
「いやいや、そんなこと言ってまへん。けど、孫夫人は公子様をお連れしようとしたぐらいですから?注意せなあかんかもと思っただけですがな・・・」
二人きりであれば、俺はその襟首をとって殴っていたかもしれぬ。・・・場も場、俺は首を振って黙っているしかなかった。
「・・・わきまえよ」
頃合いを見て、玄徳殿が簡雍をたしなめる。
「はい」
簡雍が下がる。玄徳殿の言葉しか従わぬ男、すんなりと。
反戦派の頭として押された俺の面目も潰れ、後の者の口も濁りが出てきた。
俺は、玄徳殿を見た。横眼に俺を見ただけで、そのまま顔を合わせようとしなかった。

・・・玄徳殿。貴男も諦めたのか。

呉遠征。
礼華の主・・・孫夫人と亡き袁夫人の国へ、我が国は動き出した。
・・・呉は、どう対処するのだろうか。周瑜、魯粛に続こうとした呂蒙も亡き今、誰があの国を護るのだろう?
あれは・・・悲しむだろうか。俺を心から送り出してはくれまい。だからといってあれの為に俺は玄徳殿に諫言したわけでもない。
物事の道理が外れれば、滅ぶ憂き目なのだ。それを分からぬ玄徳殿でもあるまい。
本当に、雲長殿が敗れて恨んでいるのであれば、今頃になって攻め入るのは遅い。そこまで落ちたわけでもなかろう・・・。


・・・孔明殿は強く諫めなかった。諫められぬ立場に、貴男も置かれていたのだろう。

・・・玄徳殿の背を押したのは、郷を失った者達だ。帰るべき場所だ。

・・・たかが、一個の人間に、群れは動かせぬと言うことか。



邸に、孔明殿が清書して写された公の辞令文書が届いた。
先日発表されたものを文書にしたもので、もはや誰もが知っているものだが、礼華にはまだ伝えていなかった為、即手渡した。

『江州取締及後軍都督・翊軍将軍趙雲』

名目は後詰め。体よく出征軍から外された。
・・・何の問いかけも無かった。確認すると、あれは、そのまま丸めて俺に差し出してきた。
何か言うべきことは・・・恨みでも、悲しみでも、俺に発しはしないのかと思ったが、硬くあれの口は閉ざされていた。
その沈黙は・・・国を捨て、妻という名が無いゆえに、俺を責めているのか、と。
机の上に、あれが辞令を置いたのを見た時、俺は怒りを覚えた。

声を荒げて問いただしても、口を開くような女ではない。
俺は無理矢理、この息を、その閉じられた口を開いて吹き込んだ。この胸に詰めていた空気と言葉と。
女の体には多すぎたのか、苦しげにもがいた。
我に返って、その空気を押し出させると、その顔に苦しみと感情からの涙が浮かんでいた。
言葉を求めた方が愚かだったと俺は思った。
背を抱いて、改めて重ねてみた。

十何年、その体を抱いてきたが、長くこうしていたことは無い。女を抱く時に、必ずするものだと知ってから意識してはきたが、この時初めてその意味を知った。
口を伝って、言葉を・・・この魂をも共有するものかもしれぬ。
俺は無意識に呟いていた。
・・・敗れる、と。
礼華は、俺の背に手を回してきた。強く。言葉を待っていたのは、俺だけではなかったのだろう・・・。

そのまま胸にすがりついた礼華を、俺は抱き締めていた。
この地にやって来て、離れて初めて、この女を愛しいと思った。どうなるのか不安にかられつつ、側にいることを俺の方が望んだ。手離す気にはなれなかった。
妻という名を与えてやれば良かったのだろうか。今さら、口にして何となる。
だが・・・これから出征していかねばならぬ。
俺が死ねば、この女は悲しんでくれるだろうか。
・・・それよりも、呉の“間”と陰りを受けて、統と広を護れるのか。


・・・俺は帰らねばならぬ。妻子を護らねばならぬ。
たとえ敗れても、玄徳殿だけは連れ帰る。誰にも口を出させぬ。
俺にしか出来ぬ事。
この国が滅んでも、俺は玄徳殿とお前達を必ず護る。

それが、この国が俺に与えた選択だ。


・・・違うか、礼華。



「心言」の趙雲語り。五十路のおじさん趙雲本人色恋話すかな・・・と不安になりつつ、だらだらと。三者三様みたいな話を作りたかったのですが、どうしても上手くいかずに、似たり寄ったりな話になってしまいました。
諸葛亮との接点・・・呉には縁者がいるからやりにくい点で同じように苦労しているからこそ最後まで趙雲と仲が良かったという、強引な推測付けです。
蜀って、荊州政権と言われているので、遠征にはこぞって反対したらしいですが、強引に出征して敗れた劉備だけが悪いのか?と思ったようなところも勝手に入れてみました。
趙雲が恋愛に目覚めて、そればっかり考えてるように取られそうな気がしないでもないですが・・・。
=2005.1.14=


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