友へ




荊州平定間近になって、俺の体はピタリと言うことを聞かなくなった。
今まで騙し騙しに、戦にまで出て、よく動いてくれたよ。
大人になれないかもしれないと医者にも言われていたのに。
俺が倒れると、どうしてもと、殿・・・仲謀様は言い張って、俺を公安の内殿に運び込んだ。
籠の鳥だと、皆が言った。
俺も・・・はじめはそう思った。しかし、ここには、心が詰まっていた。純粋で、他のことなど眼に入らなくて、バカみたいに見えても・・・確かに、彼の心が見えた。
俺の見たかったモノを、その両手にいっぱいに抱えて、あの人は立っていたんだよ。

・・・それは、回復の望みを断たれ、絶望に追いやられた呂蒙の心を灯した、一つの出来事。



「静かにしろッ! 子明が起きるだろう!」
・・・ほら、また始まった。周りの者に注意しているつもりでも、肝心の貴男の声が大きいと、誰か言ってやればいいのに。
こっそりと覗いているのは知っている。こそこそどころか、覗き穴を開けるのに、ゴリゴリとやられたら気付かないわけがない。寝ているフリをする俺の身にもなってもらいたかった。
ついでに、カツン!カツン!と大股で靴を鳴らしておいて、すぐ側まで来てから、やっとソロリと歩き出して・・・俺に笑い死にさせたかったのかも。

・・・孫仲謀。二人目の主。俺を友と呼んでくれた人。

「殿。それはあまりにも・・・」
「いいんだ。これぐらいやらないと効果が出ないだろう」

・・・ゴソゴソ音がすると思ったら、また、何かやらかしに来たんだな。そんな暇あったら他の事に労力を使えばいいのに・・・。
・・・土のニオイがする・・・水っぽいし・・・きついニオイだ。余計に気分が悪くなる・・・。

「子明!子明!」
とてつもなく大きな声が部屋の中に響き渡り・・・ぐっと背を押される。
「殿・・・そんなに強く揺さぶっては・・・」
「・・・これぐらいでくたばる子明じゃない!」

・・・死にかけてる病人に向かって、あんた乱暴だよ。ほんとに・・・どうしようもないバカなんだから・・・。

「起きろと言ってるだろう!」
「殿!」
「お前も起こせ」
「私には出来ません」

・・・眼を開けないと、本当に殺されそうだ。

「お前の見たがってた“雪”だぞ!」
明るい声に、力無い瞼が一気に開く。
床や調度、牀台の上、呂蒙の体の上まで・・・一面に、真っ白な世界。
白の・・・雪景色。
孫権が、その真っ白なモノを両手にいっぱいに抱えて、側で突っ立っていた。
「どうだ? 綺麗だろう? 外に出られないお前の為に、わざわざ運んできたんだぞ!」
「後の処理が大変ですが・・・」
「うるさい!」
「はッ・・・」
側付きの主君と対照的に、一見、か細い谷利が、困った顔をして大柄な主君を見つめており、眼を向けた呂蒙に気付くと、同意を誘うように笑みを浮かべた。
孫権は、“雪”をすくっては散らし、すくっては散らして、呂蒙の眼へ、幻想を焼き付ける。
「・・・これは・・・・・・菊ですか・・・?」
「ええ・・・そうです。ここで言うのも失礼ですが、殿には、弔花など不吉ですからとお止めしたのですが、どうしてもあなたに見せたいと仰られて・・・こうして運んで参りました」
遊び心満載な主と、性格も落ち着き払って、自分に対して申し訳ない顔をしている谷利の気遣いには深く同情しながらも、呂蒙は孫権の楽しそうな素振りに、つい微笑んだ。
「・・・仲謀様らしい。・・・この病人の戯言に、お付き合いして頂けたのですから、それだけで・・・十分・・・」

・・・覚えていたのか。この人は。

「菊の花は弔いに使うばかりでは無いんですよ」
「?」
「この香りは、薬になるんです。・・・私達、貧乏人は薬が買えないので、菊を側に挿すんですよ。病は治らずとも、心は安らぎますから・・・まぁ、死への恐怖を和らげるとも言いますか・・・」
「ふ〜ん。こんな菊一本でもなぁ・・・覚えておこう」

・・・あんなたわいもない会話を覚えていたのか。

「どうだ?子明。少しは楽になったか?」
キラリと碧の浮かんだ黒眼を輝かせ、童心のような表情で、孫権が顔を覗き込んでくる。・・・手が動けば、その赤髭を引っぱってやるのに。
呂蒙は、小さくうなずいて、苦笑いを浮かべた。
「・・・このむせるほどの香りに包まれていると・・・体も逃げたくなるようで、軽くなります」
「やっぱり・・・きつかったか?」
「はぁ、かなり・・・」
プっと孫権が吹きだし、谷利が声を押さえながら笑っている。
呂蒙も笑った。体は動かなかったが、腹いっぱいに笑った気分になれた。



両手にいっぱい、この花を抱いてごらん。
きっと、父ちゃんが喜んでくれるよ。
お前に、会いに来てくれているんだよ。
父ちゃん、この花が大好きだったからね。
もちろん、母ちゃんも好きだよ。
でも、男の子に、菊は無いかねえ・・・?
蒙。この花を覚えておくんだよ。
きっと、お前の為に、この花は咲いてくれるから。
父ちゃんが会いに来てくれるんだよ。
母ちゃんも死んだら、お前に会いに来るよ。


・・・母ちゃん。ほんとだったよ。俺の為に咲いてくれたよ。

・・・もうちょっとだから。もうちょっとしたら、会いに行く・・・待っててよ。

・・・この人の為に、もう少しだけ、ここに居てあげたいんだ。

・・・俺を友と呼んでくれたから。



「子明? 子明・・・眠ったのか?」
そっと、口元に手をかざして、孫権がほっとする。体温の下がっている呂蒙の息は、普通より低く、浅い。
「眠れません。・・・こんな、綺麗な雪景色を味わい尽くさないと・・・ご不満でしょうから・・・」
眼を閉じたまま、呂蒙が答える。
「無理しなくていいぞ。ゆっくり眠って養生しろよ」

・・・こんな、吐き気がしそうな部屋にしておいて、本気で、俺が眠れると思ってるんだろうか、この人?

「さて、どうなされますか? この花を・・・」
谷利が肩をすくめて、片付けるのが大変だと言わんばかりに孫権を見る。
「このままにしておこう・・・子明も眠りそうだ」
呂蒙の側に座りながら、孫権が言った。
しばらく考えて谷利が問う。
「・・・本当に眠れるでしょうか?」
「眠れるさ! 病人には、この花が一番だと、子明が言ったんだぞ?」
孫権は胸を張らんばかりに、自信のほどを見せたが、谷利は見えぬように首を振っていた。

・・・どうしようもないバカなんだから。

・・・あの伯符様が、放っておけないと言ったぐらいだから、折紙付きか。

・・・でも・・・俺は、そんなバカが大好きだったよ。



建安二十四年(219)。荊州平定後、南郡太守・サン陵公に任ぜられて間もなく、呂蒙は病没する。
孫権は自らの手と、呂蒙の手の間に、一輪の白菊を挿し、その最期を看取った。



・・・今度、この花が咲く時は、会いに来る。

・・・必ず、会いに来るから。




また非現実っぽい話になりました。孫権はもっと、そっとしてあげていたでしょうし(汗)
宣言通り、お題一つ目の「花(白散花)」と被っています。しかも、「目」の方の周泰と、この呂蒙の語り方が被ってしまいました。
呉の話が乏しいので、結局は書き上げたのですが、年末急ぎで寂しい話で粗いですね。

菊の花って庶民だけでなく、貴族でもかなりの知識は持ってると思いますが・・・話の飾りとして目を瞑って下さい。
呂蒙と孫権と、二人の間って年が近いので友達みたいな関係だったと想像してます。仲が良くて悪さもしそうな(話が別モノになりそうですが:笑)
呂蒙って、実際どんな人だったのか、すっごく謎です。演義であれだけ叩かれた人だけど・・・汗 格好いい人になってもいいと思うんだけどなぁ。

=2004.12.30=


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