追憶




父上は、あれから・・・この国が呉に敗れて、先帝を失ってしまったあの戦の後から、笑うことを忘れたかのように、無言で佇んでいることが多くなった。母上はそんな父上の側に寄り添っているだけで、親しく会話をしていたような記憶もない。
私は当時は十二歳。あの出征の時も、何となくせわしない生活の乱れのようなものが、子供心にワクワクさせたものだ。弟と私は、密かに戦争ごっこなどをしながら、この国が勝つことしか考えていなかった。

・・・大部分の大人は、私達を冷たい眼で見ていた。高官の息子を引っぱって遊んだりもしたが、訳もなく叱りとばされたり、悔しい思いをしたりもしたが、・・・今となれば、その理由が分かる。
この成都の空気が変わってしまったのは、大敗の報だった。
教えられた正義が崩れ去っていった。完璧なる正義であれば、他国の・・・騙し討ちにして荊州を征服した呉に勝利出来るのでは無かったのか、と。
お前達は何も知らぬから、と唾を吐き捨てた老人の弱々しい背中が、薄暗い夕日に混ざって、今でも消えることが無い。

報せから一年して戻ってきた父上は、二年前に出陣したその時とは、容貌を著しく変えていた。
全く、かつて一度も見たことのない、無気力な父上の表情。頑として一本気、煙たがられるほど真面目な父上の厳しさが、失われたかのようだった。
出迎えに出た私は、足が止まった。広は驚きと恐怖を感じたようで、全く動かなくなってしまった。
・・・父上の眼が、ゆっくりと私達へ向けられた。成長した私達を認めて、虚ろな眼が少しだけ大きくなると、静かに微笑んだ。その哀しい眼は本当に、私を見ているのかと疑うほどに。
私は、なぜか、父上を救わねば、と思った。 広の手首を掴むと、意識して次の足を踏み出して近づいた。
「お帰りなさいませ、父上」
洪手して出迎えると、我に返ったように広も、慣れぬ手つきで。父上は嬉しそうに頷いていた。
「お疲れではありませんか?」
空元気を飛ばしたようなことを言って笑われるのではないか、と思ったが、父上は、
「ああ・・・今度ばかりは疲れた」
と真面目に答え、高い背をかがめ、両手でしっかりと私達を抱き寄せた。
弔いの白軍装、将軍用の装飾が幾つか付いたものだったが、甲冑と衣服に染み付いた汗や埃、体臭が鼻について、父上には申し訳ないが息苦しくてたまらなかった。遅れて出てきた母上の姿を見て手が離れると、正直ほっとしたものだ。

「お帰りなさいませ」
母上は、相変わらず凛々しく、落ち着いた声を出していた。お互いに視線を合わせただけで、何もかも分かりあえたのだろう。父上は、涙を浮かべていた。
「よもや・・・玄徳殿を棺に入れて連れ帰るとは・・・」
最後はかすれて、聞き取ることが出来なかった。・・・父上は、邸の内では先帝のことを、「玄徳殿」としか言わなかった。最期まで。
「・・・それでも、共に帰るというあなたの約束は果たされたではありませんか」
母上は一度首を振って、父上の胸に突きつけるように、洪手した。私と広も動かされて倣った。
父上は、母上、私、広の順に、一人一人、丁寧に洪手して応えてくれた。
我が家の習わし。強き父上と母上の間に交わされる他人同士とも取れる礼儀。それが二人の言葉であったのかもしれない。
誰となく口を開けずにいると、いつもお小言を言う使用人の張婆が大声で泣き始め、母上も涙を抑えきれなくなり、父上の顔にも一筋流れていった。

そして、母上が父上の腕を引くように、邸に入っていったところで、私の記憶は途切れてしまう。



・・・父上と、母上と、広と。家族が揃っている記憶のかけらは年々欠けていく。
独り、この世に取り残された私は、そのかけらをかき集めて、面影を消すまいと時に抗っている。
抗わぬのは、私の容貌。趙子龍という名の形見・・・。




趙雲の嫡男、趙統の寂しい回想になってしまいました。時期は弟の趙広が姜維に従って沓門で戦死した後だけで、細かい設定はないのですが。
趙統は父の跡を継いで蜀が滅ぶまで生き延びていたと思っています。重臣の息子なので、晋の監視下に置かれていたのかもしれませんが、彼もひっそりとこの世を去ったんじゃないかなと思っていたら対のような話が出来てしまいました。
趙統は、すらっとしていて落ち着いていて、父の性格に似た人、しかも大人になればなるほど父の容姿に似てくる。広の方が武器をとれば強いけども、次男としての甘えが少しあったり、母似の顔で性格は優しすぎて滅んでいく。(・・・どっかの設定と似てる:汗)
でも、ここまでくるとほぼ名前だけのオリジナルですね・・・趙兄弟。

=2004.12.12=


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