心言




「俺は、たとえ・・・国が滅んでも、帰ってくるつもりだ」
彼ではなく、誰かが語った言葉ではないかと、もしや聞き違えたのかとも思った。
「俺は帰る」
確かに、彼の声、自分に言い聞かせるような言葉。
「・・・玄徳殿を連れての話だが」
付け加えて、宙へ向けられた彼の眼は、戦の末を思ってか。
敗北には慣れたと言っていた夫が、また敗北する為に出陣していくのだと悟った。
もっとも、自分は、勝利を知り始めた頃に出会ったのだが・・・。

・・・今度の戦が、陛下の為ではないのであれば、あなたは誰の為に戦うのですか。



章武元年(221)、成都。 いつもの雲に覆われた朝。
趙雲の邸宅に、丞相諸葛亮が仕上げた正式な出征の辞令文書が届けられる。一昨日、発表されたものを文書にしたもので、拝謝して受け取った趙雲だったが、奥に戻ると、確認もせずに、紀威に手渡した。
中身は、呉遠征軍の編成名簿が主になっているはずである。
呉に戻った孫夫人の従者だった紀威にしてみれば、とうとう来たかという覚悟はあったが、やはり悲しい上に、彼女を側に置いている趙雲もそれを見て喜んだ顔をしていられないのは当然である。

先年、荊州にて関羽が、呉の呂蒙と陸遜の連携によって討たれ、蜀では劉備が動くだろうとして、反戦の空気に籠もっていた。
群臣の懇願で留まっていた劉備は、漢帝として即位すると耳を失ってしまった。老いた、と誰もが言った。
今や古参の趙雲は、反遠征の代表にまで押されたものの、彼の必死な呼びかけさえ、届かなかった。

その経緯を既に聞いていたので、紀威も確認作業をするようなものなのだが、やはり趙雲が今度の戦でどのような立場に置かれるのかが気になる。
薄く黄を含んだ紙は、軽い。音もほとんどせずに文字が広がる。
ざっと見終えた紀威が、無言で書簡を丸める。

『江州取締及後軍都督・翊軍将軍趙雲』

劉備は彼を伴わず、後詰として留め置く。
荊州から蜀侵攻の際も残った。その時は関羽や張飛も留まったではいたが、[广龍]統を失った劉備の苦戦があったからこそ、諸葛亮、張飛らと蜀へ入ったのである。
表立って、彼が愚痴をこぼすことなどない。
独り、深く眉間に皺を寄せて悩む姿は痛々しく、だが、自分のような者が軽々しく口を出すものではない。
出せるものではない、と知っている。

「俺の言葉は、お前のような女の前で吐けるほど軽いものではない」
・・・たった一度の、拒絶。
ほんの少しでも、何処にも出ぬ私、名も無き女であれば、彼の苦しみを和らげることが出来ないかと思ったことの浅はかさ。
側に存在するだけでいいのか、この体を求めるだけなのか、と何度疑ってきたことだろう。
浮かんでは否定し、否定しては不安になる。
果ては、孫夫人の従者だった自分を、この際捨てるのではないかとまで恐れ・・・。

側にいられるのなら、それでいいと思っていたのでないか。
欲が出る。私はあなたを愛している・・・だからこそ、心底から愛されたいと、誰よりも、先妻達よりも・・・私を愛して欲しい、と。
決して望んではならぬこと。抑えれば抑えるほど、激しく膨らみ、胸をえぐる。
抱かれても、子を産んでも、その心の奥までは見えない。
欲など無ければ良いと思う。心が凍り付いてしまえば嘆くこともないというのに・・・。

・・・子供達は、そのような母の心と裏腹に、元気に育っている。
十二歳の統と九歳の広。兄の顔は趙雲に似たが武芸はいまいちで、母似の弟の方が素質はありそうである。
兄弟は父を尊敬し、いずれは有名な将軍になりたいと思っているらしい。


紀威は、丸めた書簡に紫の紐を結び直して趙雲の手に戻そうとしたが、
「いらん」
と、言われたので仕方なく机の上に置く。公の辞令文書をいつもは大切に崇める彼が初めてのことである。

趙雲は、様子を伺う紀威に近づき、彼女の後頭部を鷲掴みにして口付けする。
甘いモノではなく、紀威の口を覆って、熱い息を吹き込んで、息苦しさにもがくその上体を机の上へ、文書を押し潰して組み敷いた。
痙攣しかけているのに気づき、趙雲が口を離すと、ゲボッと必死に空気を吐きだして、紀威は激しく咳き込んだ。
肩を大きく揺らす彼女の息が整うまで趙雲は待ち、自分の腕に背を抱えて、もう一度口を覆う。
息を吹き込まず、鼻で呼吸させて、長く・・・。

紀威は気付いた。
わずかに唇を動かして、趙雲が何かを言葉を紡いでいる。
唇を伝って読みとれた言葉は、
・・・敗れる、と。

吹き込まれた熱い息は、
職務に忠実、鬼とまで称される彼の、この世に唯一許された叫びなのかもしれない。
言葉に出来ぬ叫びを、彼は精一杯あげているのだろう。その悲鳴を、一度は拒絶した女の中へ吹き込んでいる・・・。
認められたのか、彼の器が漏れ出したのか、両方か。
紀威はその叫びを受け入れ続けた。彼の背に手を回して力を込める。もっと吐き出せと促すように・・・。


出発前夜、軍装や調度品を共に再点検している紀威の手慣れた姿を、趙雲は見ていた。
「お前も、この先は今まで以上に苦しむことになるな・・・」
慰めのつもりか、そう言うと、
「いえ、承知しております。私はあなたの・・・」
と、紀威は言いかけて慌てて口元に手を当てる。
「・・・妻、ですから構いません、か?」
軍装を広げて、趙雲が続きを口にした。
しばらくの無言の後、紀威が唇を噛みしめて、涙を堪えていた。
「玄徳殿を連れて・・・この成都に帰ってくる」
彼なら、戦に敗れても、帝だけは連れ帰る。必ず。どんな犠牲を払ってでも、成都は護る。だからこそ、江州に置かれたのだろう。
「統と広は、頼む」
「はい」
紀威が趙雲の手を握り、趙雲もまた握り返す。
その時、彼の額に、一本大きな皺が通っていることを、紀威は改めて胸に刻む。
同じように、彼女の目尻の変化を、趙雲も知る。



章武元年(221)。六月、出征準備中、車騎将軍張飛が暗殺され、七月、漢帝劉備が進軍を開始。対するのは呉の大都督陸遜。
章武二年(222)、六月。夷陵、コウ亭(※)にて、大敗。後詰の趙雲の救援により劉備は白帝城で追撃を食い止め、そのまま留まる。
建興元年(223)、四月二十四日。白帝城改め永安宮にて劉備崩御。六十三歳。



五月。趙雲は、丞相諸葛亮らと共に、棺を護り、成都に戻った。
蜀の民は、大敗を喫して戻った無言の統治者へ群がった。
大半が黙って棺を見送っていたが、中から家族を失った悲鳴や罵倒があがると、堰を切ったように誰もが叫び始めた。
荊州からやって来た統治者は、自己の復讐に、蜀の民を道連れにしたのだという怒りが、沸き上がった。
棺を護る趙雲の前で、諸葛亮はうつむいたまま、顔を上げずに歯ぎしりをしていた。


紀威は、子供達と「論語」を読んでいた。出征前に、諸葛丞相の元から借りてきたという趙雲が、子供達の為に、合間を見ては写してくれたもの。 ・・・その竹の書簡を幾度胸に抱いたか。
今朝、周囲から湧いた喚声で軍の帰還を知ってはいたが、昼には、軍の解散の号令と共に、兵が一度家に戻っているようで、使用人達が外の様子を教えてくれた。
だが、趙雲は重職の身、帰宅は遅くなるはず。敗戦の上、帝の崩御となれば、何日も先になるかもしれない。二年も逢わなかったのだから、数日耐えるのも一緒だ。
・・・今、彼はどれほど深刻な顔でいるだろうか。気になるのはそればかり。

期待を良い意味で裏切って、彼は夕刻に戻ってきた。
邸宅の奥、老婆が急いで呼びに来る。荊州で側女として趙雲の邸宅に入った時から世話になり、益州まで付いてきたくれた使用人。
「礼華様! 将軍様がお戻りになられましたよ!」
甲高い声をあげて、老婆が嬉しそうに叫ぶと、子供達が慌てて飛び出して行き、紀威も落ちた書を拾い上げてすぐに続いた。小走りになった。

馬から降りてきた趙雲は、やはり、発つ前よりも青ざめて疲れた顔をしていた。足取りも引きずるように重く。
「お帰りなさいませ、父上!」
子の明るい声とその成長に、幾分救われて趙雲が頷く。
「お疲れではありませんか?」
流暢に、大人ぶった長子の統が気遣っている。広は、久しい父の顔に戸惑っている。
「ああ・・・今度ばかりは疲れた」
この子達も今度の敗戦を彼らなりに受け止めているのだ、と思うと趙雲はいたたまれなくなり、二人を両手に抱き寄せる。
「お帰りなさいませ」
紀威の顔を確認すると、途端に趙雲は眼を潤ませた。
「よもや・・・玄徳殿を棺に入れて連れ帰るとは・・・」
最後はかすれて声にならなかった。
「・・・それでも、共に帰るというあなたの約束は果たされたではありませんか」
紀威は最大の敬意を込めて、洪手した。子供達までも父を讃える。
一人一人へ、趙雲も洪手して応えた。
後ろで、老婆が両手で顔を隠して泣き出してしまい、泣かずと決めていた紀威も涙を流した。

・・・少なくとも、私達への約束は果たしたのです。子龍様。



建興元年(223)、五月。成都で太子劉禅が蜀漢二代皇帝となる。十七歳。
八月、先帝劉備は昭烈皇帝と諡され、恵陵に埋葬された。
・・・その年、趙雲は、中護軍・征南将軍となり、永昌亭侯に封じられた。




※コウ亭・・・[けものへん/虎]亭。


この二人の話はどうしても明るくいけそうにないですね。何でこんなに静かに流れていくんでしょう。大切に書きたいと思うから余計でしょうか。
入蜀してから暗くなってるなぁ・・・劉備嫌いなわけじゃないんですけど。こう書いてると悪役というか寂すぎるというか。
色んなものに巻き込まれて、それでも家族は壊したくないというお互いの気持ち、繋がりの再確認、そんなところ書いてみたかったので。

ちなみに、二人の関連で(数え年)

209年、孫夫人が嫁いできた時に初めて出会った当時、趙雲42・紀威29
211年、劉備入蜀。この頃孫夫人呉へ戻り、夫婦生活始まる。趙雲44・紀威31
212年、趙統生まれる(若干前後あり)。趙雲45・紀威32
213(4?)年、諸葛亮らと趙雲入蜀。趙雲46・紀威33・統2
214年、成都陥落。趙雲47・紀威34・統3
215年、趙広生まれる。趙雲48・紀威35・統4
221年、呉遠征。趙雲54・紀威41・統10・広7
223年、帰還。趙雲56・紀威43・統12・広9

・・・こんな流れです。
蜀関連か、この家族関連だけで年表入りでまとめる気はあるのですが・・・。
この二人の恋愛物語、応援して下さる方がいらっしゃったら、申告して下さい(いえ、強制じゃないです。いらっしゃるかなと思っただけで)
私は書いていて大好きな二人なので、また書くつもりです。

=2004.12.9=


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