偽正義





最後に、貴方は言った。
「またな」
そう笑って、死んでいった。


・・・お前にその時の気持ちがわかるか? この俺でさえもわからぬのに・・・。
お前になど、わかってたまるか。首を斬る、あの刀の鈍い響きを、この手に伝わるその重みを、俺は知っている・・・。俺がこの手で、魏文長の首を斬ったのだ。
それを望んだのは、お前だ・・・、楊儀。


「文長ッ・・・まだ私に恨みでもあるのか、どうだ? 減らず口でも叩いてみるか?」
楊儀の叫び声が、陣中に広がっている。
取り巻きの将軍達が、青ざめた顔でそれを見つめている。
司馬の費[示韋]、護軍の姜維など、誰も彼を止めようとしない。“その時”まで、かつては共に戦い続けた男の首が、無惨に蹴られる姿を。
謀反人魏延の首を携えてきた馬岱が、証明として首を地面に据えると、楊儀はすたすた歩いて行き、見下ろすと、いきなり踏みつけた。
カッとなって踏みつけたまでは、まだ、許せずとも日頃の犬猿ぶりから察してわからぬものでもない。魏軍を背後に、撤退劇の中心となった男ゆえ、なおさら味が悪い。
だが、執拗に踏みつけて、泥にまみれていく、魏延の首が哀れにみえて仕方がない。
見るに耐えず、うつむくのは、馬岱。震える手が、左へ動こうとして、理性が止める。
亡き従兄・馬超の顔がよぎっている。彼の唯一の跡取を、自分が護ってやらねばならぬ、と、それだけが彼を抑える。
・・・青い唇に、赤い染みが浮き出ていた。


文長殿。・・・この軍と、最後の別れをさせようと、俺は貴方の首を運んできた・・・、あの愚者に踏ませる為では無かった。
・・・この卑怯な男を許して頂きたい。俺にはまだ、この国でやらぬばならぬ事がある。



魏への遠征を繰り返してきた丞相諸葛亮が五丈原に陣没し、事態は急変した。
長史楊儀と征西大将軍魏延の不仲が一気に破裂し、軍を分かつこととなり、各々が早馬を成都へ飛ばした。
このまま長安へ攻め上がろとする魏延の言葉を、(蜀)漢二代皇帝劉禅・・・王朝は危険と判断、彼を謀反人として、決定付けた。
謀反人の名は弱い。その兵が離散したのを見、馬岱が討伐を命ぜられたのである。
馬岱は、西涼から共にあった従兄である馬超が早死にし、蜀の地でただ一人孤独を感じていたところ、魏延がよく彼に声をかけるようになった。
特に親しいというわけでもない。ただ、どこかしら、孤独を好む風がよく似ているところに、共感を覚えたのかもしれない。

魏延は、今の将軍達では確かに歯が立たぬ相手ではある。
だが・・・、相手は逃亡に疲れ、今や部下も数えるほど、なのに、あえて自分を指名する必要があるのだろうか。
・・・命令は絶対である。馬岱は思惑じみた令箭を握りしめて本陣の天幕を後にした。


魏延は、陣を敷いた何谷口で兵に逃げられ、息子と数騎で漢中へ出たが、味方であった兵の追跡を受けていた。
しかし、魏延は、待っていた。
追っ手に取り囲まれ、近づく兵卒を叩き、斬り殺しながら、ふらつく体で未だ仁王立ちの姿で地面にあった。
追っ手の旗にある、「馬岱」の名。「漢」の旗よりも、その旗が眼に焼き付いた。
一時して、馬岱が魏延発見の報を受けて駆け付けてくる。
林を後ろに、兵卒の群れの小さな隙間から、魏延の甲冑が見え隠れしていた。

「文長殿−ッ!!」
馬岱は絶叫していた。
兵卒がぴたっと止まって、振り返った。馬岱の手が、待てと制する。
既に、息子も死に、孤独な戦いを演じていた魏延は、声の方角を見、分かれた兵の中を進んでくる馬岱を確かめると、、
「おう・・・お前か、早く、こっちに来い・・・」
状況構わず、友を呼ぶように言った。ぜいぜいと息が荒く、声はかすれきっている。
筋を切ったか、左手はもうぶら下がり、右手に刃のこぼれた血刀を握りしめたまま、魏延の体が地面に崩れていった。

「そんな女みたいな顔して・・・」
大地に四つん這いの格好で、大息をつきながら、魏延が悪態をつく。
寄り添うように、馬岱が膝を付く。
「申し訳ない・・・、俺には力が無さ過ぎた」
「・・・力というものは、持つものじゃない。・・・まして中途半端な力はな・・・、俺のようになる・・・・・・はは、良い例だ・・・」
魏延が、ぺっと、血の痰を吐き出した。背から血が流れ出ている。致命傷ではないが、今さら治療するまでもないという事実が、馬岱に苦みを与える。
「文長殿・・・」
言いかけた馬岱へ、魏延が首を振った。
「・・・俺と話していると、お前まで・・・疑われる。・・・早く、俺の首を斬れ」
最後の労りとしか、馬岱は受け取りようがない。

「俺は劉玄徳が好きだった。・・・俺のような小汚い男を雇ってくれて、・・・漢中太守にまでしてくれた。・・・陛下の為なら、いつ死んでも良かったよ・・・」
魏延の顔には、なぜか安らぎがある。楊儀への罵倒の言葉が一つも出ない。
死を待つ、というのは、こんなに落ち着くものなのかと、少し昔にも感じた記憶がある。

「・・・呉に行く前、・・・あの、陛下の疲れ切った顔だけは見たくなかったが・・・・・・俺は何も出来なかった。・・・そのツケが回ってきたのかもしれんな・・・・・・」
その時だけ、魏延の顔の安らぎが消えた。

「未練だったな。・・・やってくれ」
ちらっと馬岱を見てから、魏延が地面を向いた。
「・・・文長殿。さらばです」
声が震える。泣いてはならぬと言い聞かせたが、無駄。
「またな」
と、その声だけは、笑っていた。
馬岱は、斬れない、とためらいを覚えたが、すぐ両手を握り直し、刀を振り上げた。
おおッ・・・気合いの声と共に、刀は重く鈍い声をあげて、首を斬り落とした・・・。


魏延の三族はことごとく処刑された。幼子から荊州にいた少ない親戚まで、この時の国の行動は容赦なく、さらに馬岱の悲しみは大きくなる。
魏延の荊州時代の同僚で、馬岱とは幾たびか言葉を交わしただけの老将黄忠もとっくに世を去ったが、今頃は魏延と再会し、黄泉の下で軽く口喧嘩でもしているだろうか。

馬超の子、承は、父の爵位を継いでいる。馬岱はそれを見守りながら、霧に覆われた成都から叫んでいる。
この国は狂っている。自由無き、自由に皆が興じている。
それをもたらした男を、彼は知っている。だが、もはやこの世の者ではない・・・。
あなた方はそれを見ていたのだろうか。わかっていたのだろうか。
内に秘められた憎しみが、正義と名を変えて、この国を取り巻き続ける。
これからも、それを、見続けることになるだろう。
死ぬまで、この国から出ることはないのだから。



・・・文長殿は、魏へ亡命する気など無かった。
己の命も捨てて、貴方はこの国へ、慕った男の国へ帰ってきた。
その男の元にまで旅立って、少しは満たされてくれるだろうか。

貴方はもう、知っているだろうが・・・、
・・・憎しみの正義こそが、・・・・・・偽りだったのだ。





(建興十二年(234)、秋。丞相諸葛亮が五丈原にて陣没。
撤退を拒否し、征西大将軍魏延が謀反。本軍と何谷口で衝突するも、兵は離散し、漢中へ逃れる。長史楊儀の命を受けた平北将軍馬岱が追討、これを斬殺。
翌年、楊儀はその性格の難をもって解任され庶民に落とされる。後、自らの言によって捕縛の命が下り、自殺。
尚、馬岱の没年は不詳。)



馬岱中心、魏延謀反事件の話になってしまいました(汗)・・・どうも、暗い話が多いです。楊儀が魏延の首を踏みつけて憤る場面好きじゃないので、どうしても気になってたところです。
だいぶ前から書こうと思って、書けなかった話なんですが・・・、また散り際綺麗に作戦が実行されてしまったようです。魏延、もっと良い方に見えてくれたらいいな、と思っていたのでまぁいいか。ちょっとぐらいイメージアップ出来ませんでしょうか?
・・・何処の政権でも、毒を含んでるよ、というところを書きたかったのですが、全く歯抜けな筋で未消化のところがあり、またそこら辺も書いていきたいんですが、まだまだ勉強しないと無理ですね。深みも無いし・・・とにかく、今の私にはこれが精一杯。精進します。
=2004.5.15=


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