弓弦


 

別に、弓矢に長けている者が、戦で必ず役に立つとは限るまい。
まして、戦を好まぬ者が、強いて弓矢を扱うこともあるまい。
私にその才がないのなら、それも天に定められたのだろう・・・。
なのに・・・、私はどうしてこう意地になっているのか。


許チョが曹操軍への軍需物資を届ける為に、李岱らと[言焦]を出て以来、何を思ったのか兄、許定は毎日自邸の庭で、嫌いなはずの弓矢の練習を始めた。
そこへ、許チョの友人馬路がたまにやって来る。頼んでおいた武具の修理をし、出来たものから少しずつ様子見も兼ねて運んでくる。
「お、伯恂さん・・・また悪あがきやってんですか?」
皮肉な第一声。最近の馬路の挨拶は「悪あがき」で通っている。
「いい加減、その言葉、よしてくれないか。・・・私はこれでも一生懸命なのだよ」
許定が弓の弦を引く。 さすがに許チョの兄、上衣を脱ぎ、一方の肩を覗かせ、すらりとした長身を見せているが、弟ほどの盛り上がった筋肉はない。
一見、女が好意を持つと言えば彼の方なのだが・・・、
「一生懸命ねぇ・・・」
庭に打ち立てた、一本の大木。普段は許チョなどが剣の鍛錬をしたりするのに使っている。
弦が鳴った。が、大木を大きく右にそれていく。
「お、また外れ・・・」
「定元。・・・私の邪魔をしたいが為に、頻繁に来るのか」
額に青筋を浮かばせて、許定が馬路をぎっと睨んだ。馬路が来る前から、相当イライラしていたようだ。
・・・最近、ご無沙汰なんだろ? と言いたくなったが、馬路はやめて、
「いいや、そんな暇じゃありませんよ・・・」
と、答えておく。
「あれがいる間にやろうものなら、口うるさくてかなわない。だから、私は独り、努力しているのだ。何が悪い?」
どうも八つ当たりの標的にされたらしい。
「いや、悪くはないでしょう。・・・悪くは」
「歯切れが悪い答えだな。はっきり言いなさい」
「じゃ、お言葉に甘えて。・・・努力して実るんだったら、いいんですけどね」
「そこまではっきり言うなッ」
許定が吼える。カッとなった時の喋り方は許チョそっくり。
「・・・あんたがはっきり言えというから、はっきり言ったんだよ・・・

馬路は、勝手に怒って、びゅんびゅんとあらぬ方向へ矢を飛ばしていく許定を見ながら、ぼやいた。


今は族兄、曹操の元で将軍になっている、学友の曹仁と、弟の許チョの二人に、あまりに許定の腕が悪いことから、昔は度々弓矢の稽古を強制的にさせられたらしい。
学を好む者だから、一種の不憫を思うが、この戦乱にまだ賊もちょろちょろとやって来るのだから仕方がないことだろう。
ただ、あんなに強者で鳴らした男やその仲間がよってたかって教えても、一向に腕が上がる見込みがない。・・・それは見方を変えれば素晴らしい才能なのかもしれないが。

しかし、今の状況で考えるに、許定が実質の[言焦]の留守番役なのは、許チョの兄だからという眼もあるが、仲間の深い同情も大きいのではないだろうか・・・。
一つ忘れてはいけないのが、許定にも取り柄があるということだ。
許チョなら眼の前に立ちはだかる者にはその両手を広げて、逆に自らが率先して動き、相手を威圧しにかかるが、許定の場合、誰をどう動かすか、ということを真っ先に考える。
戦略の才ゆえに、許チョは兄に全部任せていったのだろう。
・・・葛陂の賊襲来の時の、あの彼の胆略には、誰もが驚いていたのだ。


「じゃあ、お邪魔さんは帰るとするか・・・」
そう言って、馬路はそこらに落ちている、鏃のひん曲がった矢を集めると、背負っていた籠に放り込んでいく。
「ああ、すまないな・・・適当に研いだものでいいから、また持ってきてくれないか」
申し訳なさそうに、許定が言う。人の良い男である。
「適当なものを使ったら、適当な腕にしかならないんだよ」
「そうか。そういうものか・・・」
真剣な表情で納得する許定を見ると、まさか、あんただったらどれでも一緒だよ、と冗談も言えなくなってしまう。
兄弟はよく似ている。馬路は、一途なところがある許家の男達が気に入っている。少なくとも今は・・・。
「伯恂さん。あの時の弓矢の奇蹟、また見せてくれよな・・・」
「やめてくれないか、それだけは・・・」
困惑した許定へ、馬路は大笑いしてやった。


「今頃、仲康・・・、曹操の軍隊を見つけたかな。・・・どう思う、伯恂さん?」
「予定ではそうだが、・・・わからない。こればかりは、あれを信じるしか・・・」


・・・再び、弦が鳴る。放たれる度に重く響く。



許チョが曹仁と再会した頃、[言焦]にて・・・。

 


やっぱり書きました。弓下手許定さん。お題の意味とちょっと違う話ですね。いつものことですが・・・。
本編にちらりと入れようかと思ったんですが、やめました。短いし、そういうその頃どうしてたばっかり書くのもどうかと。
許定と馬路はほとんどオリジナル同士・・・許定の嫁さんとか出そうかとか悩んだんですけど、人物が固定されていないので断念。おいそれと女性が覗いてるのも時代に合わないだろうし・・・。一般的にはそうだろうけど、世間のはしに行けば、男尊女卑というのもあまり関係なかったんじゃなかろうか、とか。江戸時代の江戸では女性の絶対数が不足していたから、尊重されたような話も聞いたことがありますし・・・あ、脱線しました。
=2004.4.30=


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