寂影


 

・・・・・・孟徳。・・・俺も、逝くぞ。


魏王・曹丕が中堅将軍・許チョをはじめとしたいかつい親衛隊に囲まれて、宮殿から中庭、特に彼が好きな池のほとりにいた。
「陛下ッ・・・こちらにいらしたのですか。随分、お捜し致しましたぞ」
捜したと言う割には、息が乱れた風でもない。曹丕がいぶかしげに、
「・・・仲達。本当に捜したのか? 冗談でも言うようになったのか?」
「そのようなことを申されている時ではありませんぞ」
元々の口調の強さと裏腹に、人の良さそうな丞相主簿・司馬懿の顔には、真剣な眼差しが。
「申せ」
「お人払いを・・・」
曹丕が手を振る。許チョ以外の親衛隊が散って、大きな輪ができる。
「これでいいだろう」
「は・・・」
「早く申せ」
「・・・大将軍が亡くなられました」
糸で引っぱられるように、曹丕の額や目が上がった。真っ白な世界が見えた。
「な、何?・・・・・・もう一度」
「夏侯元譲大将軍が亡くなられたのです」
「お、叔父上が死んだ!? 何かの間違いではないのか?」
「残念ながら・・・」

「・・・叔父上、逝ったのか」
曹丕はめまいを起こして揺らぎ、傍らに突っ立っていた許チョが腕を取った。
「体調が優れないとは聞いていたが・・・そんなに身体が弱っていたのか・・・・・・」
父・曹操が亡くなってからの彼の落胆ぶりは、それまでが勇猛でならしていただけに、一層激しかったが、魏の大将軍の印綬を授ける時も老いたとはいえ、厚い胸を張って貫禄を見せていたのに。
曹丕はまだ両目を手で抑えたままだったが、ためらいなく、司馬懿の口はとどめを刺しにきた。


・・・太祖の御陵にて、大将軍は殉死なされたとのことです・・・。


調べさせると、夏侯惇が洛陽に向けてこの[業β]を出たのは半月も前だという。
太祖の御陵は、洛陽。[業β]まで、20数日で到着する。早馬なら半月でいける。
「一族の長老が、大将軍ともなれば、おいそれと出かけられるものではあるまい・・・まして、病床にあると偽って!」
さらに、自ら命を絶った証拠は、と・・・そう言いかけて曹丕は口をつぐんだ。
今日、この日・・・今、この時を、彼は選んだのではないか・・・?
・・・身震いが起きた。
「私にもわかりません・・・てっきり、ふせっておられるとばかり・・・」
司馬懿の言葉は、無難な答えだ。司馬懿にこれ以上、問うわけにもいかない。・・・しかも、夏侯惇は、曹丕の叔父である。
曹丕の目は許チョに向き、だが、許チョは黙ったまま、視線を返してくる。
こいつも、何か知っている・・・。
司馬懿が下がると、曹丕は許チョに問いただしたが、許チョは一向に口を開かない。

きつく結んだ口が、腹立たしさを上乗せする。
「俺が父上・・・曹孟徳だとしても、お前は黙ったままなのか!?」
業を煮やした曹丕がそう叫ぶと、許チョの目つきが変わる。暗闇に灯火が浮かぶように。
「虎痴、お前もか。叔父上は曹孟徳が全てだった。お前も曹孟徳の名を出した途端に変わった。・・・どいつもこいつも、見ているのは孟徳だ!俺じゃない!・・・俺はあいつの身代わりなのかッ!・・・俺は子桓だ!孟徳はもう死んだ!」
「申し訳ありません・・・」
「何だ、その態度は!」
「・・・お気にさわりましたか?」
「やめろッ」
声がかすれた。
「・・・やめてくれ・・・・・・もういい・・・」
半狂乱に叫んで、頭を抱えた曹丕。
震えて、やがて泣き出して・・・、初めてさらしたもろさを、許チョは見ざるを得ない。
曹孟徳という偉大な存在が邪魔なのではなく、ただ、独占したかっただけなのか。父に認めてほしいというだけで突っ走ってきたのか。
・・・人の心をわかるはずもない。わかりたくもない。
ただ、それを見た許チョの脳裏で交差したのは、曹操ではなく、別の男・・・。
衝動的に、許チョは自分の腕を伸ばして曹丕を抱きしめていた。
「・・・・・・馬鹿野郎、・・・今さら・・・・・・」
がっしりとした体格、さらに甲冑に身を包んだ許チョの抱擁は痛かったが、曹丕はそのまま泣くことにした。
「虎痴。・・・叔父上に会いたい・・・・・・」


洛陽へ、曹操の眠る地へ。
病と称してまで、いや、実際弱っていたが、夏侯惇は自らの死地を求めて、長い距離を走っていったのか。
人生そのものが曹孟徳と共にあった中、曹孟徳という人間を失って空虚な代物になったのか。
血の繋がりを越えた、友情なのか。・・・曹孟徳の血はこの体にも流れているというのに。
血の繋がりは、所詮、枷に過ぎないのか・・・。
貴方なら、曹孟徳を見る目でもいい。父の代わりとしていてほしかった・・・。
曹孟徳の身代わり。それが、貴方に課した枷なのか。
貴方が生きる代償は何だったのですか。
・・・求めるのは既になく、はかなく消えたその影を追い続けている。

久しく袖を通してなかった軍服を着、叔父が通ったであろう間道を曹丕は駆けていた。一将軍として。
供は許チョ含めて数人の親衛隊のみ。
[業β]は、家臣の一部以外は病で通し、後は母である卞太后に任せてきた。
こういう時の母は簡潔。「行ってきなさい」の一言だった。但し、一月が限界だと。
曹丕は走った。凍てつく風を身に刻み、自らの答えを求めて。


・・・・太祖の高陵。
驚くほど品粗な陵。音が無い。荒い北風だけが吹きすさぶ。
入り口へは左右、太祖の歩んだ人生への賞賛の言葉や、彼と功臣達がその栄誉として描かれている。
その壁画に、許チョはいなかった。
・・・典韋は勇猛な姿で、曹操の隣に立っていた。彼の死に嘆く曹操の姿さえある。
「お前も描いてやろうか、虎痴」
許チョは首を振る。
「そうか・・・・・・」
父の死に、激しく慟哭していた許チョを見た時、曹丕の心に寂寥感が湧いた。実の息子である自分よりも悲しむその姿を、見るべきではなかったと悔やんだ。もっとも、その泣き声、叫びは宮殿内に轟き、耳を塞ぐほどで嫌でも聞かざるを得なかったが。
先の典韋といい、彼といい、兄昴や自分よりも父に深く愛されたのはなぜだろう。
壁画を見上げる許チョの目を、その遠い目を、死ぬまで忘れることはできないだろう・・・。


親衛隊も外に待たせ、許チョのみを伴った曹丕が墓の内部に入る。
薄暗い、大人が二人ほど肩をくっつけてやっと通れるほどの石道。天井も低く、頭をかがめた許チョは窮屈さを感じていたが、曹丕は足早に進んでいく。
湿った土の臭いが強くなる。カビ臭さも混じり、あまり気持ちいいものではない。
正面に石扉で突き当たる。そこが曹操が眠っている部屋。
許チョが前に出て、重い扉を引いた。ゴリゴリと石が泣いた。
出てくるのは、充満した湿気に、血の臭い。
絶望の文字が頭によぎる。

曹丕は心細い明かりと共に部屋を覗き、あっと声をあげた。彼の肩の上から覗き込んだ許チョも眼を丸くした。
中央の曹操の石棺に並ぶように、横たわった夏侯惇。
布を敷き、剣を置き、甲冑に身を包み、腕を組んだまま、彼の隻眼は閉じられていた。
苦悶の跡もなく、静かな最期を迎えたのか、安らかな顔である。
棺の上には杯がある。異臭の中に、ほんのりと酒の匂いがしたような気がした。

「叔父上・・・」
震える声が、亡骸にかけられる。曹丕が膝を落とした。
手をついた地面には、血のかたまりが。
「将軍・・・」
許チョが呟く。
夏侯惇の組んだ両の手、流れた血の筋がこびりついている。
よく見ると、彼の甲冑は大将軍の装飾の入ったきらびやかなものではなく、鱗甲を繋ぐ紐もすれたものである。
布は血が染み渡っていたが、軍旗らしい。戦場で使われ、繕いもある古いもの。

・・・終わった。・・・もう終わったんだ。

曹丕は湿った空気を思いっきり吸い込んだ。
次に吐き出して、もう一度繰り返す。
頭をめぐっていた何もかもが遠くへ消えていく。薄暗い石室に、吸い込まれていくように。
「・・・虎痴」
松明を持った許チョが近づいてくる。
「来てよかったよ・・・」
「・・・はい」
愛想のない返事に、彼なりの気遣いがある。
捨てたものの代わりに、何を拾ったのか、曹丕は落ち着いた。

「な、虎痴・・・」
「?」
「お前は・・・帰ってからどうする」
「・・・処罰は覚悟しています」
「処罰? ・・・いくら何でも大将軍が手首切って死にました、と言うわけにはいかないからな」
「部下は?」
「不問だ・・・わかっているくせに」
「寛容なご処置に感謝いたします」
「似合わないぞ」
「・・・・・・・・・」
「俺は・・・我が強いお前が好きなのに。父上が亡くなってからどうしておとなしくなったんだ?」

「さぁ・・・」
しばらく、許チョは考えて、
「・・・陛下と同様、曹孟徳という男が嫌いだったのかもしれません」
と、答えた。口元がゆるんでいる。
「・・・うん」
曹丕も寂しげだったが、無邪気に笑った。
そして、曹丕は遠い入り口の光に目を細めると、ツカツカと石道を鳴らしながら現実へ、王の顔を作りながら歩いていく。

二人の亡骸を納めた石室に残されたのは静寂。
「・・・・・・あんた・・・、まだ、俺に護れと言うのか・・・」
“あの日”流したものが許チョの目ににじむ。・・・だが、それだけ。
ゆっくりと、二度と開くことがない石扉を閉め一礼する。
振り返ると、曹丕の姿は光にまみれており、許チョはすぐさま追って行った。



・・・[業β]。
建安二十五年(220)四月二十五日。大将軍・夏侯惇逝去の報が公に伝わった。

 



・・・話の軸が不明。それぞれの屈折した生なのか、夏侯惇の影、曹操の影だったのか。夏侯惇の死によって見えるというはずだったんですけど。
許チョは曹家三代に愛されたという彼の伝から、曹家の内情をずっと見ていたはずです。その辺からなぜか曹丕と許チョは兄弟みたいな感覚です。とうとう妄想がひどくなってきたみたいです。夏侯惇の死に重点を置くつもりが彼らのやり取りの前座状態^^;
・・・ところで、許チョの役職、曹丕が帝位についてから昇進しているので、今はまだ曹操の時からの中堅将軍で。司馬懿が当たり前ながら、魏書に伝が無いことに気づいて慌てました(大ボケ)この時、既に尚書台になっていたんだろうか? 「晋書」ネットで検索してみたんですが。ややこしくて。官職・・・あまり普段調べてないからとても不安です^^;

曹操が1月23日亡くなり、夏侯惇が大将軍になったのが3月3日、それからすぐ4月25日に亡くなっていますが、あまりにも短いです!夏侯惇自身、重病であれば任命を辞退するだろうし(強引に任命したかも)、どうも納得いかないので、結果、こういう話になってしまいました。根底には、日本の大坂城落城で、自責の念から片桐且元が20日後に自刃したという説からです(大坂の陣の前から病で苦しんでいたそうですが)。夏侯惇もその部類だったんじゃないか・・・と。しかし、あまりにも非現実的な話になってしまいました。中国の喪はよくわかりません(汗) それと高陵もわからずに書きましたが、ほとんどいい加減で、漢期の墓とピラミッドからだいたい想像しました。確か、曹操、葬式も埋葬も簡素にしろと・・・(汗)
・・・戦場を駆け回っていた夏侯惇が手首切るという方法を選んだ訳は、静かに逝きたかったから。しかし、なぜ床が汚れるのを承知で血を流して死ぬのかと言われれば・・・その辺は60年の長さを共にした彼らにしかわからないと逃げておきます(汗) 夏侯惇と夏侯淵・・・魏の人達殺してばかりじゃない私?
[業β]と洛陽の移動日数は20.9日(光栄さんのハンドブックより)16km/日だと。
すみません、後書きが長くなりました。

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