白散花


 

成都の春。幾年も見慣れた満開の花。
そして、花は散る。いつもの通り。
風に吹かれ、ひらひらと花びら一枚。
そっと肩へと舞い降りる。


戦の功績により絶賛され、幾人から賛歌をあびただろう。
老いを迎えて、衰弱への道を進む体で、それに見合わぬ戦果をあげたと思われているのだろうか。
いや、老いてはおらずとも、その結果は軍の士気を大いに高めることにはなったはずだ。
納得していないのは、自分だけではないか。
納得・・・できるのか。この目で見たあの最期を、自分の誉れとできるのか。
できるはずがない。あの男は、
・・・花を見せたのだ。

建安二十三年(218年)。
蜀に本拠地を構えた劉備は、参謀・法正の進言もあり、大軍を率いて漢中へ進撃し、魏の名将・夏侯淵と陽平関で対峙。
そして、翌二十四年の正月。
劉備は定軍山に陣を敷いた・・・。

案の定、夏侯淵は襲撃にかかった。
劉備は、副将の張[合β]と白兵戦では勝てぬと見、守備の陣を焼き払う。
張[合β]の苦戦に、夏侯淵は兵の半数を与え、火災の救助に向かった。
しかし・・・それが仇となる。
定軍山の頂きから、敵方の精鋭が死に物狂いで突撃してくる。
まだ、それを率いる将軍が誰なのか、夏侯淵は知らない。


苦戦、苦戦。味方の兵は倒れるばかり。
返り血と泥と汗にまみれながら、悲壮な顔で、夏侯淵は定軍山を見上げた。
「劉備・・・」
山頂に、「劉」の大旗が立っている。
護衛の兵が左右に起立する、その真ん中に立っている金の鱗甲をつけた一段きらびやかな将軍がいる。
あれこそ劉備。

夏侯淵は舌をならした。
「口惜しいことだ・・・目の前に、あの男を眺めているとは・・・・・・」
その表情を拝むことはできないが、劉備はその体同様、ゆったり悠然と構えていることだろう。
自軍の優勢に、あの男ならもう笑みを浮かべているはず。
やんやと騒いでいるのだろうか。
あの男の目の前で、俺は死ぬのか・・・?

羞恥心、屈辱にまみれ、みるみると顔が紅潮してくるのがわかる。
「よりによって、最低な結末だッ!!」
唾を吐き捨て、夏侯淵は槍を握りしめた。
「死なぬ。・・・この首を貴様に見せるわけにはいかんのだッツ」
夏侯淵はオオ−−−と一声吠えかかると、山上目がけて駆けだした。

死ぬのはかまわん。死んでやろう。・・・貴様の首も引きずっていくぞ、劉備!


劉備の軍勢は蟻のごとく湧き出てくる。
道を開くこともできず、ただ、群がる兵士や将軍を倒し続けているのみに過ぎない。
まだ、名を知る男に会えず、夏侯淵は憔悴しきっていた。
雑兵に引きずり落とされ、首を斬られて終わりなのか?
曹操の元で、各地に名が聞こえた将だ、無様な死に方だけはしたくない。
焦りが、彼の心に宿っている。

・・・やがて、その彼の悲壮な願いが通じたのか、敵方の名ある将軍らしき男が現れた。
旗には「黄」の字が躍る。
「我が名は、黄忠と申す」
夏侯淵は半ば、落胆した。
相対した張飛、趙雲らか、彼自身で撃退した馬超でも出てくるかと期待していたところである。
関羽と同等の地位に昇ったという、この黄忠。髭は見事な白さである。六十を越えた自分より年も上であろう。
蜀侵攻に加わっていたというが、その戦歴もよくわからず、年老いただけの将軍でしかなさそうである。

「慰めるべきは・・・年相応というわけか」
夏侯淵は諦めた。
死に花咲かせようと意地になっているが馬鹿馬鹿しくなってきた。
劉備の為に、この首を与えるのは口惜しい。
だが、今となっては無様な最期さえ見せなければそれで良いと思える。
曹操、夏侯惇、曹仁らの顔が巡っていく。
・・・ここで潰えるのか。


両軍の間で円ができる。
夏侯淵と黄忠、一騎打ちである。
銅鑼や太鼓、鬨の声が彼らを囲む。
お互いに盛りを過ぎた老将の対峙である。
体力の限りは知っている。気力だけが勝敗を決するだろう。

誰もが言葉を失っていた。
一人として罵声を浴びせることもない。
互いの気迫。刃の技。
幾多の戦を経た者同士の、持てる力の衝突。

「黄忠、お主は花を知るか?」
半刻、過ぎようとした頃、夏侯淵が突然、そう言った。
「花?・・・何の花か?」
互いに息もあがり手に持つ獲物に汗が滴り落ちている。
「・・・白い花だ。死に花咲かせるというあれだ」
夏侯淵が不敵に笑う。
「弔いの花のことか?」
が、黄忠はまだ理解できない。

「そうとも言えるな・・・」
夏侯淵はそう言って、間合いを取る。
黄忠も薙刀を握り直し、構える。
次の一撃で勝敗が決まる。

「行くぞ!」
「来い!」
形相鬼のごとく、その目に映るのは倒すべき相手のみ
槍と薙刀が交差する。

「花を見よッ」
夏侯淵は目をうすく開いたまま、首をのばした。
白花一輪、視界に広がる。
「あッ」と、声に出した。しまったッ、と頭に響く。
黄忠は自ら払う薙刀の遠心力を止めることはできなかった。
鮮血をあげて・・・・・・夏侯淵の首は飛んだ。


歓声があがった。どっと周囲で渦のように轟いた。
万歳を唱える者もいる。
その中で、戦意を失った敵兵は武器を捨てて逃げ出す。膝を地につけて投降を口にする。茫然と突っ立っている者もいる。
誰が命じたのか、夏侯淵を討った報告に味方の伝令が走って行った。

気づくと、夏侯淵の首はいつものように部下が拾い上げ、泥を払い丁寧に戦旗で包んでいたが、首を失った体には装飾品に群がり、また痛めつける自軍の兵の姿が目に入った。
黄忠は蒼白とした顔で馬上にいたが、
突然、馬から降りてその群れに駆けつけた。

「清めよッ!!」
夏侯淵を討ってから、黄忠が初めて発した言葉だった。
「やめんか、剥ぎ取った物を戻せッ、体に槍を刺した者は抜けッツ。敬意を払うということを知らんのか!汚すでないッ。清めよ、清めよッ!!」
彼の怒号が歓声を止めた。
清めよ、清めよ。と、黄忠は狂ったように、叫ぶ。

「将軍、落ち着いて下さいッ。漢升将軍ッ!!」
部下達が、夏侯淵の遺体を抱きかかえている黄忠から、その遺体を引き離すまで、絶叫は止むことはなかった。
それでも、腕に残った血と共に、自分自身を抱きしめるようにして、黄忠は嘆いた。
「花だ・・・花が、散った・・・・・・」

 


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