好敵 二、張りぼて
 

行軍。
・・・延々と歩き続ける作業が続いている。
砂塵に巻かれ、痛む眼をこじ開けるようにして前の者を確認し、その方角へただ進む。
左右は山。汝水沿いに西へ・・・。
ただそれだけの作業。

許チョも歩く。曹操の斜め後ろで、馬と徒歩と、交互に繰り返す。ほとんど先輩の典韋と変わらないことを繰り返していた。
その足は、慣れぬ合わぬ靴の為に、擦れ、まめ。潰れて、血と汁が出ている。行軍途中に清水で洗うことは適わず、あてがわれた雑布を当ててしのいでみるが、痛みも臭いもきつくなる。
また昼夜を問わない警護。重なった時は二日ほど睡眠を取らずに歩き続けていたりもする。
徹夜は、小競り合いの中で暮らしてきたから慣れている。
・・・靴擦れだけは困った。痛みは我慢できるが、重心が安定しない。一歩踏み出すと、足がわずかなぐらつきを感じてしまう。
大足だったせいか、足が遊ぶような靴を支給されてしまった。後日、それが典韋と同じ大きさのモノだと知って、詰めていた布を出して自分の足と靴の隙間を計ってみたりもした。


旗の列・・・繋った川。
風にあおられて映る「曹」の字。赤地に黒く、太く。浮き出た威圧感。
将軍とこの旗の後ろに何千の命が続き、また将軍がいて、旗の後ろに命が続く。
この列を作っているうちの一人を抜き出せば、一つの家族がある。
両親がいたり、兄弟がいたり、親戚、妻や子供がいる。友人もいる。家は隣人がいて、集落があって、邑・・・県・・・国が存在する。
今、歩いている男達の大部分が徴兵で出てきたのだろう。 自分達の意志で出て来たのはほんの一握りのはず。
延々と続くこの行進を、皆がどう思っているのだろう。


許チョの視界の中では、曹操が生きている。
葦毛の馬に跨ったこの小男は、行軍中、髭を触ったり、遠くを眺めてみたり、馬の鞍にくくりつけてある袋から書を取り出しては読んでいる。その読書が深くなれば、周囲の声も聞こえない。かと思えば、じっと眼を閉ざして思索にふけっている。

・・・天が命というものを我に預けたのであれば、その心を知るのも悪くはあるまい。

何を思って、そう言えるのだろう。
付いていくだけの毎日。典韋は彼の意志で今の立場になったという。
このひょうとした男に、今歩いている者達全て従っている、その理由が知りたい。
無類の読書好きを除けば、普段は特徴があるような男には見えない。
どこにでもいるような、一兵卒でも通じるような風貌をして、おもしろいと感じれば手を叩いてすぐに笑う。周囲にお構いなしで、声の調子もすぐに変わる。
「自分本位」という言葉が相応しい人間。
典韋が彼を護りたいと心の底から思っているのであれば、その理由を聞きたい。
何もかもが一からで、典韋の後ろばかりを追って、その真似をして過ごしているように感じられる。
典韋に次いだ体格を買われての警護役とされたのか。
これだけ強靱な者が側にいるぞ、という曹操が外へ向けた芝居なのか。
典韋と自分とを両脇に、太華だと言って笑った時、曹操の眼が潤んでいた気がする。
虚勢の裏に見えたのは、女の影。

涙をためて、皆を呪っていつも外へ出たいと、逃れたいと叫んでいた女と、似ているその眼。
押し潰されそうな心に張りぼてを作って、その中で座り込んでいる小さな体。

しかし、曹操は張りぼてから外を覗いている。それを取っ払って、向き合うこともある。
・・・そういう気がする。
表向きというものかもしれないが、今見えているのはそれだけ。
これからどれだけ深く、その心を知ることが出来るだろうか。
それよりも、この命が保たれて、生き様を見続けることは可能だろうか。


・・・従軍間もない男が、将来の感傷に浸りきっているなど、気付かれたくはない。
付きまとう不安が転化しただけのものだと、一笑に終わるだろう。
はっきりとした目的があって、ここにいるわけでもない。
曹仁の生き様に流されてしまったのは事実。
格好良く映っただけで、自分がここに入って何をするのか決めてこなかった。
張誠の事は気にかかるが、たった一人の人間が、そこまで出来るだろうかと、この二年の間に考え続けてはきた。
それを確かめる為に、ここに入ったわけでもない。

・・・何かをしたいと思っただけだ。
[言焦]という小さな檻を出て、外を眺めてみたかった。
「天下」という雲のような言葉に、痺れていた。
とにかく、「許仲康」が生きているという実感が欲しかった。
天下で、自分の名が噂になる。その酔狂な夢に、甘えてみたくなった。
覇王となる人間は、天下の夢という酒に酔っていたいが為に、存在意義を確かめる為に、戦ってきたのだろうか。
誰も彼も、相手にして欲しいと願ってきた子供の夢が膨らんだ結果だとしたら・・・そのきっかけはささいな代物になってしまう
そもそもきっかけというモノが、何処から生まれてくるのか。
天の気まぐれで落とされた火種だろうか。


足のまめがまた潰れた。汁が出て、ぐちゅっという感覚と突き上げてくるような痛みが走った。
許チョは観念して、今度の休息には、一声典韋にかけようと思った。
化膿して、使い物にならなくなった足を抱えていては話にならないだろう。
はじめから靴の職人に言って寸法を直してもらえば良かったか。・・・ここまで硬い靴とは思わなかったと正直に打ち明ければどうだろう。
たかが靴一つで何を言っていると怒るだろうか。
他の兵は満足な靴を履いているわけでもない。ほぼ草履のようなモノを履いている者も多い。
先ほどから靴一つにこだわっている自分こそが子供のようだと思って、許チョはまた悩み始めた。
体格に著しく反して、小さな出来事一つ一つにこだわっているこの癖を知られたくはないと思った。
しかし、足の痛みだけは止まりそうにない。


新しい部下に、典韋と変わらぬ体躯を持った男に、冗談の一つでも放ってやろうとして曹操が振り返る。
そして、気付いた。
・・・うつむいて黙々と歩いているが、時折口に力が入っている許チョの顔。
曹操は横にいる典韋に声をかけ、許チョを指さした。
許チョの前に立つと、典韋は足元を見て、また許チョの顔を見直し彼の兜紐を引きちぎり、その兜を空に放ると、
「無様!」
と叫んだ。拳が飛んできて、許チョの上半身が揺れた。典韋の背後で落ちていく兜が見えた。
踏みこらえて、許チョが睨み返すと再び殴られた。

「・・・遊び半分でここに来たのか!!」
止まらぬ行進から放り出された格好で、曹操は見えなくなり、典韋は許チョの前に立ちはだかっている。
もう一度、殴られた。突き出せぬ拳が震えた。
許チョの顔は腫れてきたが、典韋は容赦無く殴り続けた。

 

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