好敵 三
 

「動かないで下さい」
要領よく、湧水を汲んできた桶に手を突っ込んで、布を搾る。
そのまま許チョの腫れ上がった顔に当てられる。容貌は変わり果て、首から下さえ見なければ誰の顔か判別付かない。

曹操の姿を視線で追いかける余裕もないほどに、典韋に執拗に殴られたが、許チョは頑として踏ん張り、倒れなかった。歯を食いしばって顔を腫らして睨み続けた。
それだけが、唯一の反抗だった。
隊列は遠く過ぎ、気が付けば、小休止という声が聞こえてきた。
「・・・しぶとい奴だな、お前」
典韋は悪態付きつつ、一度許チョの方を叩いてから戻って行った。
両頬が熱をもって皮膚を引きつらせ、塊のように感じながら許チョもふらつく足で歩いた。
兵士一人一人が、その姿に痛そうだとも思ったのか意味ありげに彼を見ていたが、許チョはただ黙って元の隊列、曹操の側へと進んだ。
視界の向こうから、何人かが走って来るのが見えた。典韋が指示したのだろう。
その後、許チョは部下によって、強制的に座らされていた。

周りには、布を握った青年を除くと三名。それぞれが腹立ちを隠せないのがよくわかった。連れてきた侠客でも、許チョの名を有名にした葛破の賊が来る前から、父の許忠の下、親交があった者達。
似たもの同士。・・・無口な者ばかり揃ったのが傷といえば傷だろうか。

「それにしても・・・こんなに腫れるまで、よく我慢されましたね」
「思う・・・」
ぼそりと、痛む頬や唇でやっとそれだけを返した許チョに、布を当てた青年が笑みを浮かべた。
名を楊芳、字を季慈といい、そこらで農作業をしているような、ありふれた顔をしている。歳は許チョより二つ下の二十五。
[言焦]から付いてきた許家の部曲の一人で、侠客共々そのほとんどは許チョの下で動けるように、曹操直々に「虎士」の職が与えられている。
「・・・そう思うのなら、なぜ、ここまで放っておられたのです」
膿んだ足の指は既に、切開して膿を出し、軍医からもらった薬を塗りつけて真新しい布を切って指の一本一本に巻いてある。それも楊芳の手による。
この戦乱で、貧しい者が身の安全を少しでも図ろうというのならば、それ相応の対策はしなければならぬ。貧しいからと逃げているだけでは、生涯逃げ続けているだろう。 という、父の教育の賜物でもある。
楊芳の父は、曹操の陣営にいるのは知っている。エンに留まっているらしいが、いずれ会えるのかもしれない。もう十年以上も会っていない学問の師、[言焦]では名の知れた先生である。
「・・・意地だ」
「強情ですからね」
即、楊芳が突っ込んだ。笑おうとして、許チョは顔をしかめた。しかめたかどうか、傍目にはわからないのだが。
「・・・そういうところ、」
「父に似たとでも言いたいのでしょう。・・・私もそう思います」
まともに話せない許チョは、楊芳の言うがままで、腫れた顔で苦笑いをしているしかなかった。

そのまま、こまめに水に浸した布で顔を冷やしてもらっていると、
「あの、許都尉・・・」
確か、典韋の部下だ。中年の、こざっぱりしている男なのだが、恐る恐る、背後の本陣が留する小丘を気にしながら歩いて近づいてくる。
「・・・何か支障でも?」
楊芳が尋ねると、男はもう一度背後を振り返った。
「いえ・・・校尉に、許都尉と話がしたい旨を、言付かりました」
許チョと楊芳の眼が合って、許チョが頷き、楊芳が答えた。
「わかりました。・・・しかし、まだ都尉の足の具合を診ていますので、ご足労で・・・」
話が終わる前に、男は、「伝えて来ます!」と走り出した。そのまま小丘を上って行ってしまい、えらく足が速い男だと、部下の一人が言った。

 

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