怨恨の地 十五、憤り(上)

 

張誠は饒舌ではないが、時々人の心をえぐるような言葉を発する時がある。
それは、口数の少ない許チョにも同じ事が言えるが、この場の流れは、張誠が握っていた。
八尺余(184cm余)と七尺七寸(約177cm)、二つの大きな男達に見下ろされて縮んでいた、六尺(約138cmほど)の背がまた、縮んでいったよう見えた。
許チョの手のひらが、その小さな頭に乗った。
しかし、その手には緊張のせいか、柔らかさが感じられなかった。


「張。・・・璞は確かに、俺をそんな眼で見る時がある・・・だが、俺がただの人殺しをする中身のない男だとも気付いている」
「・・・そんな着飾った言葉は聞きたくねえ」
張誠の不可解な返答は、許チョの頭の中でカチッと、石を弾かせる。
「お前は、何を苛立っているんだ? 俺にはわからん・・・言いたいことがあれば言えばいいだろう。・・・お前ほど頭の回りは良くない、俺は」
「・・・綺麗事を並べて楽しいか?」
棒読みのような返答に、先ほどから必死で巡る許チョ思考はどうやっても、彼の心を見いだせない。
許チョが口を閉ざしてしまうと、張誠が眼を見開いて、苛立った顔を押し付けてきた。
「・・・もう、うんざりだ。言葉でいくら着飾ったってな、本心ってのは隠せねえんだよ。でかい図体ぶらさげたって、その頭ん中に詰まってるお前自身が否定してるもんを出さねえと意味がねえんだよ!」
今にも唾を吐きだしてきそうな、あきらかに挑発。
・・・そこまでして、訴えねばならないものがあるのか。

火は付かない。一気に燃えない。余計に、冷めてしまう。
「・・・お前が言いたい事はなんだと聞いているだろう」
許チョの表情を、その眼を、観察していた張誠が落胆ぎみにこぼした。
「なぜ、そんな・・・落ち着いていられるんだよ、お前」
「落ち着いてなどいない。お前が言いたい事がわからないから、頭では焦っている」
「それが本当なら、お前は得な男だな・・・何をやったって、平然とやってるようにしか見えねえよ・・・。だから、「虎痴」と付けてもらったのか?」
兄のように慕う、曹仁より付けられたとはいえ、その名を好んでいるわけではない。
許チョの眼が鋭くなった。張誠はニヤリと笑う。
「得な男とはどういう意味だ。・・・昔から周囲の眼が怖くて、素っ気ない振りをしていたら、いつの間にか、癖が付いたに過ぎないだけだ」
「そんな癖、さっさと捨てちまえよ。・・・そんな癖のために、お前の本当の姿が見えなくなるんだぜ?」
「・・・人殺しが好きだということか?」
「まぁ、それもあるがな。・・・お前、ほんとは気付いてるんだろ?」
「何がだ」
「いつも、憤りを感じてるだろ? 抑えきれなくて、衝動に走らないか、怖がってるんだろ? 何がなんだかわからねえが、何に対しても憤って・・・」
「憤り・・・」
小さく押し込んで、李璞の頭から手が離れた。許チョの視線は張誠の姿から逸れ、視点が定まらなくなる。投げかけられた疑問、内に集中してしまった。

「おい。そんなぼけっとしてると、殺して下さいって言ってるもんだぜ?」
完全に無防備だった。
わずかな間の疑問から、我に返った許チョの眉間に入ってきた痛み。
・・・刀の切っ先が刺さっていた。
雷真が半ば剣を抜いて走り寄ってきたが、自身の意志で止まる。
絶句して、強ばっている李璞。

睨み合い、互いにその心中を探り合っている。
「おもしろくねえよな・・・お前、俺が斬らないの、わかってたんだろ?」
「いや・・・」
「わかってたんだよ。お前の外面じゃなくて、中身はわかってたから、俺を殺さなかった」
「・・・・・・・・・・」
眉間から血が滴って、鼻筋から頬へ、唇まで濡らした。
無意識に、舌が舐め、血の味を感じていた。
「てめえの血でも、美味いと思うんだな・・・」
「・・・少なくとも、他人のものを浴びて、気分が悪くなることはないからな」
斬り殺した相手の血が口に入って、吐き気を催すことは数知れない。
初めて人を殺した時は、何日もその“味”が消えずに、のたうち回っていた。
記憶は、まだ“味”を覚えているが・・・。


額から、切っ先が抜けた。血がさらに滴って、ぽたぽたと、地面に赤く花のように広がって、すぐに黒くなっていく。
李璞はそれを見ているだけしか出来なかった。
物陰とはいえ、まだ刀を向けた異様な空気に、周囲に人影が見え始めた。
・・・警吏がやって来るのも時間の問題。

「もっと時間を作りたかったんだがな・・・俺も短気だ。上手く事は進まえねえ」
張誠が自分に呆れたようで、首を振った。刀が収まった。
雷真は未だ剣に手をかけてはいたが、走り寄ってくる気配は無く、ゆっくりと歩いて来る。許チョの身にこれ以上害が無さそうなのと、周囲の眼に気付いたからである。
「張・・・教えてくれ。お前が俺に言いたいのは何だ?」
血が入ったのか、許チョは片目を閉ざし、袖で何度か拭いながら尋ねた。
彼に答えを聞かずにはいられなかった。

冷ややかな眼が返ってきた。
「なぁ、仲康。・・・お前がぜひとも曹操を護りたいというのならそれでいいがな」
張誠の声の調子が変わる。
「護る・・・、何を言っている」
「ぐだぐだ言うなよ・・・、てめえの汚ねえ同情なんて、される方が迷惑」
「・・・・・・・・・・」
「俺もほんの少し、期待する気になったのが運の尽きだぜ」
ふざけていた顔は反転、憤る。
ガリガリ鳴らす歯、胸に凝縮される空気。ぶるぶる震えた体から、吐き出される熱息。
仮面がはがれた。
許チョが唾を飲もうとして止まっている。
「・・・、徐州の人間か」
常に聞いている者にしかわからぬ、微妙な声の揺れ。許チョの狼狽。
「初めて見たな、その顔。どうやら図星だったみたいだな。・・・どんなやり方だろうと、半端な事やってる人間が一番汚ねえ・・・、てめえがそうだ」
張誠の心を、許チョにはどうやっても理解することが出来なかった。

 

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