怨恨の地 十三、毒

 
張誠が消えた。
李岱の話では、紫麗がまたどこかに消えてしまったので外に出ると、誰かが呟いていたのを聞いて草むらの奥の方へ行ってみると、かがんでいた張誠を見つけたので、声をかけると、よくわからないような一言二言残して走り去って行ったという。その足元に、紫麗の骸があったそうだが・・・。

許チョ始め、張誠の部下のほとんどが信じてはいない。ただ、その言葉しかないから、真実を探るために張誠を捜している。雇い主が白と言えば白になるので、見つけたとしても張誠が相当な目に遭うのは必定。なので、追跡の手はゆるい。張誠を兄貴分として慕っていた者達ばかり。
許チョの方は、部下を使う必要が無い。李岱の用心棒の一人がどうなろうと、彼には関係の無い話なのだが、紫麗の殺され方に疑問を持った。

首を執拗に締め上げられた挙げ句に、その喉へ刃を深く突き立てられたようだ。首に残っていた指の痕が、張誠にしては細い。しかも、絶命した後に刃を立てるなど、そこまで陰険な殺し方をするのだろうか? 張誠ならもっと一気に振り降ろして終わりではないか・・・。
妖艶なまでに美しかった女を、目を剥き出しにして、全身の液体を垂らした無惨な姿に変えてしまった男は、今、平静な顔をして張誠の次にいた陳平という者に指示をしている。

確信があった。だが、本来の目的・・・曹軍への軍需品の引き渡しを済ますのが先なので、許チョは夜明けを待つことにした。
朝になれば、ケン城に入る。曹操の居城に・・・。


眠れぬ夜が明けた。曹仁の部隊は、日の出る間近になって、城内から使者が出て来ると、早々に、呂布のいるボク陽に向けて出立していた。
ドーーーン、ドーーン・・・城壁の上、太鼓が城内外に鳴り響く。
城内から、曹軍の兵士が何十人も現れ、出入りの百姓や商人など、着衣から荷の中まで念入りに調べ上げた上で、許可が下りる。門の脇にはまだ兵士が控えているようである。
先に連絡を入れていたが、李岱、許チョらも一通り調べられた。割り符を見せたものの、中央にお伺いを立てて返事が戻ってくるのを待つしか無かった。
城内に入った時は、既に昼近くになっていた。
やはり交戦最中、徹底した厳戒な警備。城内の各市にも兵士が多数配属されている。
今、曹操の帰還を待つこの城を統治しているのは、参謀荀ケである。まだ新参の部類を出ない若き男の言葉一つに州を任せていく曹操の大胆さは容易ではない。

通達が下ったのか、中央府の中役人と兵士が十人ばかりやって来て、東の官倉へ促す。
物品の目録を一つ一つ声をあげて確かめ、収めていくのだが、読み上げる役人が、その内容に驚きの眼を見張り、兵士も緊張した面もちで扱っているのが、許チョには笑い飛ばしたいぐらい愚かに見える。
その対応が、貧しい生活に慣らされている者の正直な本音だろうが、李岱という男を身近に見ていると、その豪華な品の一つ一つが彼に侵されているようで、許チョの興味は引かない。
平然と、それを見守っている李岱の顔に、利益の一部である金品を収めることに何の未練も無い平然とした様子が気になる。
利益を渡すということは、商人にとって、自分の命の一部を渡すほどだと聞く。品を差し出す時に、どこか執着じみた眼で追うのが常だというのに。
李岱の見返りは一体、どれほどのものなのか・・・。

「では、後ほど改めてご挨拶に伺います」
と、役人達は疲れた顔で帰っていく。空になった荷台を引く驢や馬、男達を横に、
許チョは、本来の役目を終え、再会した曹仁とも離れた今、緊張の糸を緩ませながら、ぼんやりと曹操の城を眺めている。
特別に何か変わった城なわけではないが、曹操の城というだけで、何か違うと心がそう感じてしまう。
曹仁が言った別の目的。それに過剰な期待をかけようとする自分を抑えている。
はるかなる理想郷を追って、現実に失望するのが怖いのである。
曹仁と再び別れた今、その期待への糸が切れるのでないかという不安が付きまとう。


商隊は、官舎の一つを割り当てられ、数日は城に逗留することになった。
「各自連絡だけは絶やさぬよう・・・また、張誠の消息を探るのを忘れぬよう、頼みましたよ」
李岱が数人の用心棒以外、金を与えて城内に放り出した。許チョもそれに倣い、遠出の地で休息を楽しむことにした。
いつの間にか、李岱の側には女の華が添えられている。紫麗も所詮は華の一人に過ぎなかったのだろう。
「仲康様・・・こちらで飲みませんか?」
李岱の頬が早速赤づいている。
「いや・・・、今日は城の見物させてもらう」
「そうですか・・・では、璞をついでに連れて行ってもらえませんか?」
そういえば、室内にいない。
「外にいますよ・・・あなたの誘いなら喜んで行くでしょうから」
不気味なぐらい上機嫌だ。
許チョは彼の顔から逃げるように外へ出た。

石段の一番上、李璞はぽつんと座って往来の百姓や兵士の列を見ている。
「・・・退屈か?」
許チョはその隣に立った。
「いいえ。そうではないんですが・・・」
覇気のない声だ。
張誠のことが気になっているんだろう。昔からよく遊んでもらった男だ。
「・・・紫麗を殺ったのはあいつじゃないぞ」
「ええ、わかっています」
立ち上がって、許チョを見た眼はしっかりしている。
誰が殺したのか、知っている。
「そうか・・・」
それだけしか言えない自分がもどかしい。
「市にでも行こうと思うが・・・」
「はい。ぜひ!」
眼が輝いた。市が珍しいはずがないが、正直に、喜んでいるようだ。
許チョは眩しいまでの笑顔に頷いて、無造作に李璞を抱え上げると、肩の上に乗せた。
「久しぶりですね!・・・仲康様の肩に乗せてもらえるのは」
少年らしくはしゃいでいる李璞に、許チョも自然と笑みが浮かんだ。


その光景に、眼を尖らせる男が、内と外、それぞれに存在する。
人に害をなさぬようにして、寄り添う人間の姿でさえも、それが毒に化してしまう。
毒は、「妬み」。自らが生みだし、自らを害する毒。
深く、深く・・・。

 

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