怨恨の地 十、接触 |
白い軍勢。徐州の脅威、曹操の軍。 確信は持てないが、皆が皆そうとった。確信が持てないのは、その軍を真似た賊の存在を知る為である。 近づくにつれ、その軍装、旗の白布は、埃やシミ、血の痕で汚れている。 だが、整然と並ぶ軍の姿は賊に真似出来ようもない。 次々に翻った「曹」の旗。 曹操の軍勢は装備も整いきっていない不審な一隊に気づくと、各々武器を握りしめ臨戦態勢に入っている。 先頭にいる将軍らしき男が矛を携えたまま、数騎を従えてこちらに近づいてくる。背後には弓兵が矢をつがえ、即こちらを射抜く様子である。 一回り大きい将旗に「曹仁」と見えた。 「[亠兌]州太守、曹孟徳旗下の曹子孝だ。・・・お前達は何処の者だ?」 曹操の従弟、曹仁。徐州でも自慢の騎馬隊が駆けめぐったという。 きつく厚い唇を結び、馬上に堂々とこちらを眺めている。若い張った頬や額に、刃の傷が幾つもある。 李岱がほっと安堵の溜息をついた。荷を受け取るべき相手が目の前にいる。 [言焦]から呂布軍の目を盗んで間道沿いに北上し、ぶつかったのは曹操の軍。 「私は李岱。商人にございます。こちらに控えます者共々、皆[言焦]より参りました。軍需の品・・・」 馬から降りて李岱が進み出たものの、曹仁の眼は先ほどから一点で止まっていた。 「虎痴・・・」 許チョがゆっくりとうなずいていた。 数騎の部下を放っておいて、曹仁が構わず彼の側に馬を近づけてくる。 曹仁の突然の行動に、曹仁の部下も、李岱や張誠らも、眼を見張り、察した許チョが馬を降りた。 洪手した彼に、曹仁はむっとした。 「おい、虎痴。久しぶりだというのに、えらく礼儀正しい出迎えだな」 「曹軍の騎馬将軍がお出でとあらば、当然・・・」 とまで言うと、許チョは曹仁が側に来るまで待ってから、また言った。 「・・・あんたの後ろに気を遣ってるだけだ、仁兄」 口をとんがらせていた曹仁が、にやっと笑った。 曹仁は背後にいた部下に言って、部隊は小休止。 「・・・仁兄。あんたも変わってないようだ。お勉強に忙しいと聞いていたが」 「勉強って、ああ・・・将軍って奴もなかなかややこしい。あまりに周りが言うから腹が立ってきてな・・・意地でやっていたら、いつの間にか、噂だけが先行して・・・、お前の言う通り、中身は全然変わっていないからおもしろいだろう?」 かつては[言焦]の暴れん坊だった曹仁も、今では兵法書を読み、儒学の先生を呼び、こまめに学んでいるという。 許チョが知る限り、曹仁は昔は短気だった。喧嘩をふっかける事は当たり前。常に何かしていないと収まらない性格だった。 それが、今、眼の前の男にはどっしりとした落ち着きが見える。世に出て物事を見たせいか、兵に下知する仕草にも余裕がある。 十年近い年月は、記憶の中とは違う別のものを生み出すらしい。互いが互いの成長を感じていることは同じだったが。 彼らの談笑は続き、放られた感の李岱に、張誠が尋ねる。 「旦那。仲康があんな将軍と繋がりを持ってたって、何で教えてくれなかったんだい?」 「私はお前がてっきり知っていると思っていたよ。曹仁と言えば、一時は博徒を率いて荒れていた事もあった。その一人に仲康も入っていたというわけだ。・・・それは[言焦]の百姓でも知っている事だがね」 「・・・へえ。俺は流れ者だったから、そこら辺の情報に疎いんだよ」 「私でも知っていたのに?」 紫麗が口を挟んだ。 「はいはい、裏の裏までその身で感じてきたってか? 俺はそこまでして情報を得たいとは思わねえんだよ、売女(ばいた)」 「まぁ、失礼ね・・・」 そう言いつつも、紫麗の顔には悪びれも苛立ちの一つもない。 そんな悪態も耳に入らぬ李璞は、じっと許チョと曹仁の話す様子を見ている。 許チョが彼の実兄、許定と年の変わらぬ知り合いがいると言ってたので、眼の前にいる男がその人なのかと、李璞は半ば観察の眼で見ていたのである。 許チョが並んでしまうと一回り小さく見えてしまうが、相当体格もしっかりした人らしい。 滅多に見せない笑みが許チョの顔に出、自分が知らない時間を共有していた事がわかる。 自分にも笑ってくれるが、捨て子だったという同情からではないか、と子供心にそう悩み、やはり早く大人になりたいとまた思う。 でも、楽しそうな許チョを見ると、なぜか自分も嬉しくなってくる。ほっとするというのが正しいのかもしれない。 それがどういう意味なのか、まだまだわからぬ少年だった。 「で、肝心の荷は何処に運べばいいんだ?」 話も落ち着いた頃、許チョが曹仁に尋ねた。 騎馬隊ならこの先、ケン城まで一日の距離。荷を負えばもう一日要る。そのケン城の安全は確保されているらしいが、 「あ、ああ、荷か・・・」 全く考えて無かったのか、曹仁の答えが軽い。 「・・・聞いていなかったのか?」 「いや、報告は受けていたが・・・まさか、“お前が”ここまで来るとは思わなかったからな・・・」 「俺が・・・?」 曹仁は口ごもり、不審な眼に変わった許チョ。 「・・・どういう意味だ?」 昔の仲間は、互いにその根の性格を知っている。観念して曹仁が言った。 「・・・仕向けるように頼まれた」 「誰に?」 「わかっていて言うな。・・・孟徳のおっさんだ」 「・・・・・・・・・」 許チョは体ごと後ろに振り向いた。 張誠の方を向いていた李岱が気づいた。わずかにたじろぎ、曹仁の方をちらっと見た。 「・・・李岱はあんたの命令で動いていたのか?」 「正確には違うが、結果としてはそうなるな・・・」 「まどろっこしい」 「そう怒るなよ。・・・所詮、金が全ての商人は当てにならんという事だ。お前がここに来てくれればそれでいい」 「要は・・・俺を曹操と会わせたかっただけの話か」 「半分は、な」 悪戯っぽく、曹仁が笑い、 「半分?」 許チョの顔には不機嫌の色。 睨むような眼に対し、曹仁は言葉で返す。 「・・・孟徳のおっさんがお前に興味を持ったのは確かだが、お前を必要としているのは俺だ。だから、虎痴、お前を呼んだ」 |
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