怨恨の地 九、異質同質 |
商隊は一路、北へ進む。 さすがに一時は曹操の的確な指揮下にあり平穏になりつつあったが、なりを潜めていた賊たちが、混乱を極めるエン州に追い打ちをかけていた。 一行も何度か狙いはされたが、名の通った許チョが率いていると知ると、慌てて逃げて行った。 また、関所でも止められたが、そこは彼よりも李岱の“金”がものを言った。 呂布を主に迎えたとは言え、兵卒には何の関わりもない。 戦をして死ぬか生きるかの問題である。 従兵して得る金よりも数十倍もある金を懐に入れ、一行を通すと逃亡する兵もいた。 当然、上からの厳命であるからと、こっそり見逃す代わりに、懐をはかろうとする者もいた。 そういう者でも、李岱のような州郡規模の豪商となると、彼らの推測以上の金が簡単に出てくるのである。 最終的には、李岱が各地で商いして手に入れた手形が役に立ったのだが。 死の商人もこんな時には便利なものである。 エン州に入る以前、出発してからずっと、隊列の先頭、許チョの眉間には深いしわが寄っていた。 いつもながら鍛え抜いた巨漢にその形相はお世辞にも優男とは言えない。 少年・李璞は彼の横に馬を寄せているが、なかなか声をかけれなかった。 今回は常日頃の傭兵稼業とは違うせいだろうか、と思ってみる。 「仲康様ったら、そのような顔をしていらしたら、一生、そのままになってしまいますわよ」 彼の後ろにいる美女が艶めかしく声をかけた。 「紫麗・・・やめなさい」 隣の李岱が溜息まじりにたしなめる。 「ふふふ」 不敵な笑みで、紫麗と呼ばれた美女は応えた。 彼女は李岱が常に側に置く女で、紫麗は本名ではないらしいが、詳しいことは誰も知らない。 「ほんと欲だけだぜ、お前って奴は」 許チョを挟んで李璞の反対側にいる男が肩をすくめた。 「試してみる?」 紫麗は指先を厚みのある唇に当て、誘惑。 「いや、遠慮する。生気抜かれて、あの世行きだけは御免だ」 数人の男たちが密かに喉を鳴らしていたものの、慣れているのか、男は片手を振る。 「人を化け物みたいに呼ばないでほしいわ・・・ねえ、岱様」 李岱はうなずくだけで答えなかった。その妖艶な色気のある四肢に、彼は毎夜夢をむさぼっているからである。 「・・・まぁ、無理はないだろうけどよ」 男は、紫麗にぞっこんな李岱を横目に、両腰の刀を引き抜いてみる。 よく研がれ、油ののるぎらぎらとした刃である。 「にしても・・・あいつ、腕はいいのに、なぜ、来ねえ?」 男、張誠の細長い目も光った。 「さあな・・・」 その呟きに許チョがやっと反応した。 張誠は交差する刃を通して、許チョの横顔を見つめている。 が、依然として厳しく先を見据えたままである。 こちらを見ることもなく、刃のあげる音にも動じない。 簡単に言えば、張誠は李岱の用心棒である。 許チョはその腕で、[言焦]の豪族としての名を挙げ、今では数千もの部下らを抱える身である。 許チョと本気でやり合ったらどうなるか・・・何度もそれを考えてみた。 しかし、心の何処か、一歩踏み込めないものがある。 戦場で、血を求めて暴れ狂う獣のような彼の姿に、身震いを覚えたあの日以来、負けを認めてしまった自分が悔しい。 血を欲する刃は同質であるのに、強さが違う。力が劣る。 いや、怪力だけで強い証明にはならないが、許チョはその両方を備えている。 どう見てもぶっきらぼうな男だが、人に好かれる要素もある。 自分も何百もの部下を抱えてきた身だが、数が違う。 同質でありながら、異質な存在。 無性に腹が立つ。 だが、勝てない。 そして、もう一人、許チョが心を許している男。 ・・・馬(路)定元。 独りでありながら、独りにならない男。 どうしても、好きになれない奴・・・ 「・・・これじゃ、いじけてるだけだろうが」 自嘲じみた独り言を吐いて、張誠は刀をゆっくり収める。 一生、他人にもらすこともないだろう。 自分の狭さを見せるようなものだ。 しかし、何かが自分に語る。 耳を塞ごうとも、目をつむろうとも、語りかけるそれをかき消すことができない。 ・・・それを本心と言うのだろうか。 張誠はもう一度、許チョを見た。 相変わらず、真っ直ぐ前を向いたままだ。 李璞が気づいて、何か御用ですか?、と言いたげに目を大きくした。 愛想笑いでごまかしてみる。 李璞は首をかしげて訝しがった。 「ん・・・?」 ドドドドドド・・・・・地響きがする。 張誠は放っていた馬の手綱を掴む。 さらに厳しい顔つきで許チョは前方を睨んだ。 「来る・・・」 許チョの左手が、李璞を下げる。 怒濤の馬蹄音と共に現れたのは、弔旗を掲げた白い軍勢だった。 |
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