怨恨の地 七、迷い

 

[言焦]の豪商、李岱は悩んでいた。
商いの鼻をきかし、この戦乱最中に幾つもの手を打ってはいたが、今回ばかりは彼の顔にも焦りが覗く。
彼が後だてとして利用する、任侠の頭、また隣人の許ネ者は、全くと言っていいほどその動きを止めていた。
曹操の命を絶つ算段を練っているとも、勝手に耳へは流れてくる。

また、曹操の本拠地エン州では、曹操自らが主力を率いる徐州遠征の裏をかき、張バクや陳宮ら、大多数の配下が反旗を掲げた。
よりによって、天下の狼将、呂布を迎え入れたという。
今頃は徐州から曹操が強行軍で引き返しているはずである。
各地の治者へ伏線を張る李岱ではあるが、[言焦]出身との理由付けで、一番に結びつきを強めようとしていた曹操が窮地に追い込まれている。
この情報は早くから聞いていたが、実行に移す算段があまりに早すぎたことから、曹操が出陣するかなり以前から時間をかけて裏工作は進んでいたものと見える。
おそらく、謀臣陳宮が中心に動いていたのであろう。

「どうしたものか・・・」
下手すれば、火の粉を呼び込むことになる。
李岱は将来の展望を揺るがす選択に迫られていた。
見限るか、死地に這い上がる奇蹟を待つか。
誰に問うても先を知るわけではない。
彼は迷った。天下の商いの夢を失うわけにはいかない。
だが、強欲な彼にも情はあった。天下の将来に望みを託す相手を求めていた。

終日ふさぎ込み、究極の選択に迷う義父を見る子の姿がある。
李璞(ハク)はただ、黙って見ていた。
他の六人の男子はそんな実父に構いもしない。
気をもむことは悲しいことに後の相続に過ぎず、豪遊に興じ、まして、飾りに酔う女子には将来への輝かしい生活、麗しい夫の出現、と半ば夢心地にある。
それを知るのか、李岱は商いの旅に李璞を連れて行く。外の世界で、各地の現実を教える。商いの方法よりも各地の情勢を見せた。
父が自分に何を望むのか、李璞はまだその答えを得ていない。

紅玉刀をいじる癖が出る。左手が柄をもて遊ぶ。
と、ぽんと肩を叩かれた。驚いて振り返ると、
「また、ふさぎ込んじゃってどうしたのかなぁ?」
美青年がいけずっぽく笑っていた。
「羅義(ラギ)さん・・・」
美青年、羅義は李岱らと徐州に従い、来香の腕を診た男である。
昔、師について医術を学び、年は若いが医者としては[言焦]県でも一目置かれている存在である。

「お父さんのことが心配かい?」
羅義の言葉にうなずくだけの李璞。
「大丈夫さ、立明(リツメイ)さんは見捨てないよ」
立明は李岱の字である。
「え?」
「・・・図星みたいだね〜。君はいつも隣の“おじさん”のことばかり考えているからね」
いつもの明るい調子でそう言って、羅義は李璞の首に片腕を回した。

「最近、仲康様、私を避けるんです・・・それに曹操を殺そうとしているという噂が・・・」
李璞の顔がさらに曇る。
「・・・大丈夫。大人にだって悩むことはいっぱいあるさ。君の“おじさん”は無駄死にするような男じゃないだろう? そうそう、昨年、賊が一万人ほどやって来た事件あっただろ? その時も体に5本も矢、突き刺したまま吠えまくってからね・・・あんな怪物診たこともないし」
「そんなに大変だったんですか!?」
「あ・・・言ってなかった?」
「・・・・・・・・・・」
けろっとした顔で羅義はあの時はすごかったんだよ、と許ネ者の怪我と武勇伝をべらべらと喋り続けた。

おもしろおかしく話す羅義に、つい李璞も吹き出した。
それでも羅義はもっと前の戦いのことやら、彼が知る普段の生活でドジを踏んだ話を持ち出して話は止まらなかった。
ありがとう、と心中で李璞は言った。
いつも、広い屋敷で独りっきりになる彼を見つけて、相手になってくれる羅義の存在は貴重である。

これからもこういう生活が続けばいいな、と李璞はふと思った。
でも、やっぱりこのままではいけない、とも思った。
しかし、彼はその理由をまとめられない。
漠然と頭にどんよりとした雲がかたまっているようで、かきわけようとしても混ざるだけ。
自ら歩みだす方法も知らない。力の無い自分が腹立たしい。
誰も助けることができない十歳という幼さの現実。

李璞は笑いながら、ぽろりと一粒の涙を流した。
彼自身、気づいていない。
それ見た羅義は腕に力を込めた。
「痛いですよ〜羅義さん・・・首が絞まるぅ」
「平気、平気。蘇生なら得意だから」
「・・・どういう意味ですかぁ?」

じゃれ合う二人の姿を見つけ、李岱が遠くで微笑んでいた。

 

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