怨恨の地 六、腐れ縁

 

「さぁて・・・そろそろ、喋ってもらおうか、仲康」
夜更けの[言焦]の町はずれ。一軒家のその奥で若い男が、酒を飲みに来た許ネ者に切り出した。
奥座敷と言えるものではないが、筵を敷き座って飲むことぐらいはできる。
若い男、馬路は許ネ者の杯代わりのお椀へ酒を注ぐ。
素知らぬ顔で、許ネ者は酒を含む。濁り酒で上等にはほど遠いものの、酔うだけなら事足りる。

徐州から連れてきた、十二歳頃の少女、来香(ライコウ)は馬路の家で、火傷の傷も痕は残るもののほぼ治った為、彼の鍛冶の仕事を少しずつ手伝い始めている。
この時代は工房を持って集団で作業するのが常だが、馬路はそれを嫌い独り鉄を打つ。
戦も青銅から鉄へ移行し始め、規模も全国に及ぶことから彼のような一匹狼も仕事が次々に舞い込んでくる状態である。
来香はまだ、ぽつぽつと言葉を話す程度で会話として成り立ちにくいが、馬路もだいぶそれに慣れてきている。

その来香は隣の小屋を改造した部屋で休んでいる。
何度か馬路が様子を見に行ったが、仕事の疲れでぐっすり眠っているらしい。
案外、馬路も細かい気配りをする男である。
本人らはともかく、夫婦になるのも時間の問題だな、と許ネ者はそう思っている。

「聞いているのか?」
「何を?」
「とぼけるな。・・・王班から聞いたぞ」
「チッ・・・余計なことを」
「そういうな。爺さん、かなり悩んで俺にうち明けたみたいだぞ」
「だから、余計だと言うんだ」
「だったら・・・なぜ、口をすべらせた? お前らしくもない 」

「王班は子供の頃からずっと一緒だったからな・・・」
「情に弱い男には見えんがね」
「何が言いたい?」
「・・・お前の狙いだ」
馬路は胸底を見透かすかのように、許ネ者の表情だけを見つめている。

こういう時の馬路は、許ネ者にとってうっとしい存在でしかない。
気さくで軽い男に取られやすいが、その実は一本気でどこで習得したのか、並の武将にも負けない腕は持っている。
確かに、良い男だ。
しかし、心中にズカズカと入り込まれたのではたまったものではない。
厚意ある男は、一転して侵入者にもなりかねない。

「あれに頼まれたのか?」
「いいや、じいさんそんなことは言わなかった」
「それなら、李岱か?」
「おい・・・俺が頼まれてこんなこと聞くと思ってんのか、ボケ」
馬路の舌のまわりがやや早くなる。
普段はそんな言葉を使わない男である。しかも、酒で左右されるような男でもない。相当きてるらしい。

「そうだな、頼まれて聞くお前ではないからな」
「話がずれてるだろ。説明しろ」
顎で促す馬路。酒など飲む気にもならないらしい。
「不用意にあんな言葉を吐きました、と弁解すればいいのか?」
許ネ者は許ネ者で、眉一つ動かすわけでもない。ただ、手酌酒。

「・・・ああ、もう、わかった。言うな。勝手にしろ」
乱暴に彼の酒瓶をひったくって、馬路は酒瓶ごと飲んだ。
「聞いたのはお前だ」
「お前が変な事を口走るからだ」
口の端を酒が流れている。
「変な事、か」
許ネ者はふんと鼻先で笑った。何がおかしいのか、くっくっと二度ほど笑った。
いや、自嘲したという方が正しい。

「・・・だいたい、曹操を殺すと言っても、そう簡単にいくと思うのか?」
「わからん」
「ほら来た。また、“わからん”だ。いつもお前はそれでごまかす」
「わからんからわからんと言ったまでだ。はなからわかっていれば、苦労などするか」
「そう言って、いつもお前は独りで突っ走る。誰かに相談するとかだな・・・」
「だから、ここに来たんだろう?」

今度は許ネ者が馬路の目を見た。
何か言いかけて、馬路の口の動きが止まった。
わずか一瞬の間に、許ネ者の目の奥に見えたものは、獲物を捕らえようとする沸き上がる殺意に興奮する猛獣のそれと同じだった。
そして、足元から崩れ落ちてしまいそうな広大な暗闇だけがその奥に広がっていた。

何がこの男を動かすんだ?
名声じゃない。そんなもの、こいつには邪魔なだけだ。
頭になってここら辺を治めるのも飽きてる。
毒づいている割には、女子供にはえらく優しいな。
何がやりたいんだ?
曹操を殺すことがお前の生き甲斐なんじゃないだろう?
絶対に違うぞ、それは。あまりに単純すぎる。
こいつはもっと他の事を考えてるはずだ。

「おい、定元。そんなに俺の顔見て楽しいか?気持ち悪い」
許ネ者の言葉に、馬路は思考を止める。
「・・・お前、まさか」
「まさかとは何だ?」
「いや・・・何でもない」
「ふん、青い顔して・・・悪酔いしたか?」
「ああ、そうかもな」
適当に相づちをうって、馬路は答えていたが、内心では納得できない疑問が暴れ回っていた。

それでも、新しい酒を開ける度に思考は気楽に変化し、許ネ者がつぐ酒を次々と飲み干していった。
腐れ縁と彼らは互いにそう言い合っているが、まだ数年の付き合いである。
何十年もの付き合いの長さだけが信頼を得るものではないと、彼らは痛感しているからである。
ただ、未だ三十年も生きてはいない若い間柄ではあるが。


その日、夜明けまで許ネ者と馬路は酒を飲み続けていた・・・。

 

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