怨恨の地 五、曹一族

 

許ネ者はここ数年で、各地の任侠者を下し、言焦の内外を統轄している。
食料にも事欠く有様で、ほとんどが貧しい生活を強いられている為、彼自身も優雅な生活とは無縁である。
この町には、彼らに反し、その優雅な生活を営んでいる一族がいる。
曹一族である。

一族出身には、[亠兌]州の曹操がいる。
許ネ者の脳裏には、幼い頃焼き付けた、きらびやかな衣服の貴人、宝物を満載した荷車、ぞくぞくと挨拶にくる客人など・・・華やかな記憶がある。
その後も、一族には放蕩息子がいると、噂は流れ続けてきた。
貴人への嫉妬や恨みの格好のネタになって、人々は語っていた。

噂の放蕩息子こそ、曹操である。
許ネ者は幼児期から今に至るまで、一度たりともその面を見たことはない。
人相の方は、商いで出入りする李岱から聞いたことはあるが、どうも英雄らしからぬ風貌と言う。
どんな人物なのか、興味はあるが、そんな機会はなかった。

曹操が[言焦]を出て、一番大きな出来事は、中平六年(189年)に反董卓連合を結集したことである。
その時、曹操と親戚の居住は陳留に移っていたが、まだ一族の本拠地はこの地であった。
暴虐な都の主、董卓の粛正を恐れ、一時、[言焦]の町は混乱に陥った。

しかし、意外に曹操の激が功を奏したのか、野望の賜物か、各国の盟主が曹操に応え、慌てた董卓は都、洛陽に火を放ち、長安に遷都を強行した。
逆に、[言焦]は軍備物資の需要に追われることとなった。
許ネ者は商いで生じる、人足の割り振りに頭を悩ましたものである。

それから、五年後の今、曹操の居る場所は徐州である。
領土拡大を目的か、親の復讐か、はたまた謀略か、昨年からの二度にわたる遠征は甚だ理不尽な戦である。
戦に道理はない。しかし、今度の戦は一方的としかとらえようがない。
許ネ者はその戦に、曹操の心中を求めている。
なぜ、今、この時期に徐州を攻めねばならないのか・・・?


許ネ者は薄暗い部屋で目を薄く開いた。
部屋の戸の隙間から、夕日が射し込んでいた。
どうやら、考え込んで、腕組みしたまま、眠っていたようである。
机上には、昨夜、李岱らが語った徐州の内情を書き記した板が数枚重ねたままになっている。

「曹操・・・か」
手で顔を撫でつつ、片手で板を取り上げて目を通す。
今朝から何度読み返しているか。
許ネ者は自らの武勇に重ね、彼が庇護する商人達から仕入れる情報で力を付けてきた。
それが生き残る術であることを、身にしみて知る彼である。

飯炊きの煙が風に乗ってやってきた。
「飯の時間だな」
板を置いて、許ネ者は背をのばし、ふわぁ・・・と大きなあくびをした。
もうすぐ、家奴がやって来るだろう。
いつもの通り、せくせくしながら・・・

「旦那様ッ。夕食の時間です」
白髪が混じった初老の男が、戸をたたきながら入ってきた。
「・・・わかってる」
いつも通り、許ネ者は無愛想に答える。
家奴・王班は額のしわを寄せて、散らかった板を整理する。

「お前も苦労人だな」
「はい、お世話好きがこうじて、旦那様のお世話までさせて頂いております」
にこにこ笑って、王班が言った。
「大旦那様にはお世話になりましたから・・・」
と、彼の口癖が付け足される。

「・・・親父と仲が良かったからな、お前は」
「仲が良かったとは滅相もない・・・いつも気遣って下さいました」
目を見開いて、王班は大きく首を振っている。
許ネ者は笑って部屋を後にし、それに王班も従った。

土塀の上を、橙から紫の帯へと変わりながら、夕日が落ちてくる。
「王班・・・」
許ネ者は左手を腰にやって、それを見つめている。
「はい」
両手を握って、小柄な王班は、彼の影に立っている。

「俺は・・・」
言いかけて、許ネ者は口をつぐんだ。
次の言葉が、彼自身で終わらぬ、事の重さを告げるのだろう。
王班は察しながらそれを待っていた。


しばらくの沈黙の後、許ネ者の口から言葉がすべり落ちる。
「俺は・・・曹操を殺す」

 

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