怨恨の地 四、紅玉刀

 

走り去る訓練生らを見送った許ネ者は、李璞の存在に気づいた。
「璞。どうした?」
「・・・いえ、何も」
さっきまでの笑顔はどこへか、少年はしょんぼりとたたずんでいる。
手は腰の刀へいっている。

館に来ると、いつも帰ろうとはしない李璞の癖は、自分の刀の柄をいじること。
彼が下げている刀は小振りで無駄な飾りはないが、ただ一つ、刀の鞘に紅玉が埋め込まれている。
李璞は寝る時もそれを抱きしめて眠りにつく。
未だ知ることのない本当の家族を夢見て・・・。

李璞は幼い頃、[言焦]の町はずれで、行商の帰路にあった李岱に拾われた。
その頃、[言焦]に限ったことではないが、町は飢饉にあえぎ、豪族でさえ食料に事欠く始末。
まして、民百姓の生活はむごいものである。
産み捨てられた子どもは、今もそうだが何ら珍しいものではなかった。

そんな光景の中、李璞だけは奇妙だった。
幼子は大人の着物を着せられ、持ち上げることのできない刀を両手で握りしめていたという。
着物といい、刀といい、百姓の子どもにしては良い品である。やむなく捨てられた豪族の子どもなのだろう。
このご時世、まだ略奪や乱暴にあっていなかったのが、幼子の救い。
李岱の問いかけに、幼子は答えられなかった。
唯一、「璞」とだけ繰り返した。


元来、人付き合いは苦手な許ネ者である。見つけた次の言葉は、
「岱が・・・また、新しい女でも見つけたのか?」
である。
人の心情にことさら気をつかう兄の定が聞いたら、それこそひっくり返るだろう。
「いつものことですが・・・」
平然と答える少年も少年である。

養父の好色を言い放つあたり、李岱は李璞の前でも平気で妾らと遊び回っているのだろう。
環境に慣れてしまったと言えばそれまで。
まだ恋も色も経験したことのない少年は、美しい女性や男性を見ても何の感情も沸かないらしい。

しばらくの沈黙の後、李璞が口を開いた。
「・・・徐州で、泣き叫んでいる子どもをたくさん見ました」
今まで、李岱について各地を旅した少年はそれまでにも飢饉の痕や戦場も見てきたはずである。
「話は後で聞く言ったはずだが?」
許ネ者はうざったいと言いたげな口調で制し、李璞は口をつぐった。
「・・・後でな」
許ネ者は自室に戻ろうと踵を返した。

「仲康様ッ!!」
何を思ったのか、突然、李璞が背後から叫んだ。
「・・・私は何かをしようと試みたことがありませんッ。そのような勇気もありませんッ。あなたのように、体を張って何かを護ってみたいんです!!」
振り返りかけて、許ネ者は止めた。
その先に、何があるのか、彼には理解できていた。

自分を見る少年の瞳がある。純粋な輝きがあるだろう。
「そんなに大それた人間か、俺は」
許ネ者は背を向けたまま、ふん、と鼻先で笑った。
純情な李璞を思うたび、
己に対して、むかむかと吐き気をもたらす嫌悪感が沸き起こってきた。

「何か、気にさわることでも言いましたか?」
少年らしくない李璞の言葉に、
「・・・お前の言葉を聞いている暇はない」
今にも吐きそうな気を飲み込み、許ネ者は答えた。
「・・・すみません」
李璞は後ろで頭を下げているだろう。
なぜ、こんなに素直なのだろう。少年は。

「謝る必要はない」
許ネ者は青い空を見上げた。
「・・・俺はお前が思うような男じゃない。俺が護るのは俺自身だ。わかるか? ・・・俺がこの町を護るのは、俺の名声の為だ。他の何でもない」
「でも・・・」

溜息をゆっくりついて、許ネ者は言った。
「親を見殺しにし、兄を蹴落とし、女を犯し、金で妻を買い、名を得る為に友を裏切り、人を殺し続ける。・・・そういう男が羨望の的になるのか、璞?」
李璞は答えない・・・。

「・・・帰れ」
立ちつくす李璞を一人残し、許ネ者は振り返ることなく館内へと去っていった。
少年は気づかなかった。
衣の袖に隠れた拳を、許ネ者が握りしめていたことを・・・。


少年は男の後ろ姿を消えるまで見つめていたが、ふと腰の刀へ手をやった。
血の証たる刀。
引き抜くと、陽光に照らされて、刃身がキラリと輝いた。
「父上。・・・信念は貫くものでしたね」
少年の言葉は力強い響きを持って、刃ごと鞘の中に収められた。
そして、いつもの笑顔を浮かべ、少年は自邸へ帰ったのだった。

 

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