怨恨の地 三、[言焦]

 

曹軍の徐州での狂気なる行為と強さは、各地を行き交う商人や旅人が尾ひれをつけて運んでいく。
ここ[言焦]県も例外ではない。
曹操の動向は商人にとって、今や注目すべき天下の重点である。
しかし、街や農村の人々は戦乱を横目に、日々黙々と働き続ける。彼らにとって統治する者の名が替わる程度で、彼らの生活は徴収や戦火を除いては変化することがない。

農村では、農民は畑を耕し、収穫に一喜一憂し、国家によって穀物は管理される。
街では生活用具を提供する手工業者や商人は農民より蔑まれ、屠殺業や埋葬業、医者など生活上必要とされる彼らは賤業と呼ばれる。
その仕事に関わる人々はそれでも懸命に、自らの役割に誇りを持って生きていくのである。
そういう底辺にある者たちを国家に代わり統括するのが遊侠組織である。

遠方地間を結んでいるのは、物資を運ぶ運搬業者であり、それに支えられて富を得る豪商がいる。
彼らにとって遊侠組織の名の下では遠地での保護と紹介が得られる。安全な物資の流通が保証されるのである。
[言焦]は水陸路に発達した街であり、この街も遊侠組織に護られていた。

それを統べるのは許[ネ者]という男である。
近年の戦乱や飢饉で貧困の波が押し寄せ、しかも黄巾賊の残党やそれに便乗した強盗団などが、農村や役所を襲って略奪を欲しいままにする有様であった。
それを一族や若者を率いて追い払い、[シ隹]・汝・陳・梁など近隣に名を轟かせている豪傑だった。


「・・・仲康様。ただいま戻りましたッ」
少年の元気な声が館に響く。
少年は門衛と数言交わして庭に駆け込んだ。
庭で刀を握った巨漢が数人の男相手に訓練をしていた。
日にさらした上半身は褐色に焼け、その風貌はいかつい。

「おうッ、帰ったか」
巨漢にして館の主、許チョはニッと強い笑みを含むと太い声で応えた。
数人の男達も刀の手を緩めて、休息に入る。
いまだ年若い十代から四十過ぎまでと幅広い。
一方、李璞の後ろには、彼に遅れて、商人の一行と荷車が数台入ってきた。
父の李岱が彼の姿を見つけて、近づいてくる。

「李璞、どうだった? 徐州は」
袖に腕を通しながら、許ネ者はまぶしそうに自分を見る李璞に問う。
「だめです。曹軍の通り道にあった街は全滅です」
李璞はうつむいて、首を振った。
「・・・それで、魯広は?」
許ネ者の目が李岱に向く。

「魯広は曹軍に抵抗したようですが、その後の消息はわかりません。生き延びた食客達は南方へと逃れたようですが・・・」
李岱が苦い顔で言った。魯広は彼の取引相手でもあり、徐州では名の知れた豪商でもある。
「わかった。詳しいことは後から聞く。とにかく休んでこい」
「はい」

「ところで・・・」
先ほどから、許ネ者は目を左右に動かし続けている。
「どうかなさいましたか?」
李璞が尋ねる。
「定元は・・・どうした?」
「定元殿なら家に帰られました」
と、李岱が言うと、
「美女と一緒に」
と、李璞が付け加えた。

「ほう・・・あの男がか?」
「・・・わかりませんが、私より二つほど年上のお姉さんです。仲康様」
「ふむ。あいつの好みは低年齢化してきたのか・・・」
「お嬢さんは怪我をしておいででした。定元殿は彼女を保護して・・・」
生真面目に説明する李岱に、許ネ者は手を振ってさえぎった。
「わかっている。冗談だ、李岱とは違うからな・・・」

李璞はちらっ・・・と父の顔を見、李岱はこほんッ、と咳払いした。
普通のおじさんに見えて、李岱のその好色ぶりは男女問わないもので、館には各地で集めた美男美女を囲んである。
男色と言うが、代々皇室の帝ですら寵愛する側近を置き、豪族もその手の少年を好む。別に李岱一人に限ったことではない。
やや、数が多いかな・・・どころではないが。

話はそれるが、その李岱を通じて、許ネ者が得た妻もまたそこそこ名のある家の出らしい。
彼女曰く、今は没落しているが、最盛期には宮廷にも出入りしていたらしい。
最初は黙って聞いていたが、近頃は何かとその名家とやらを持ち出すようになった。
没落した家の誇りを持ち続ける妻に、許ネ者は愛想を尽かし始めていた。
現に、ここ数年は彼女の肌すら触れていない。

「では、後ほど」
李岱は気まずい空気を避けようとしたのか、挨拶もそこそこに、商隊へ指図し出した。
許ネ者の館は李岱の館の隣にあるので、ひとまず李親子は我が家へと帰るのがいつもの行動パターンである。

そして、許ネ者は背後に突っ立っている男達へ、
「今日は終わりだ、帰れ」
と、顎で指示した。
「はい。また頼んますッ」
一人、南方出身の男が、呉音が混じったなまり口調で答えた。
同時に男達は一斉に門から走って出て行った。

 

次へ

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送